Scribble at 2022-10-20 12:51:24 Last modified: 2022-10-20 22:47:48

いまのところ、『大鏡』を読む原典としては、松村博司(日本古典文學体系)、松村博司(岩波文庫)、橘健二・加藤静子(新編日本古典文学全集)、そして佐藤謙三(角川文庫ソフィア)が手持ちにあって、他に注釈書として次田潤氏の著作を手に入れた話は既に書いたし、全訳として保坂弘司氏の著作(講談社学術文庫)がある。ちなみに、鵜城紀元氏の『文法全解 大鏡』(旺文社)という高校古文の副読本も手に入れた。ひとまず素人が古文の復習をしながら古典を通読しつつ、幾つかの読み方の違いとか解釈の違いに配慮しながら何事かを理解するには初歩的な水準と言えるだけの用意はしたつもりだ。もちろん、古文の参考書や辞書も複数ある。

しかし、関連する歴史的な事情については、まだまだ手元には貧弱なリソースしかない。そもそも、『大鏡』は藤原道長の栄華へ至る経緯を描くという大きな筋書きがあるけれど、たとえば山川出版社の日本史の教科書を開くと、肝心の藤原道長については地位を手にして30年ほど朝廷で権勢をふるったという数行の説明があるだけだし、『大鏡』は書名が記載されているだけで内容の説明は皆無だ。高校生に、こういう貧弱な(山川の教科書ですら)リソースしか与えられておらず、専らすすんで副読本や関連する本を探して読むほかにないという状況なのであるから、大半の学生や生徒が大学に入った後で初めて(しかも国文学科という特定の学科へ進学したうえで)『大鏡』について詳しく知ることになるという実情でも仕方ない。それでも『大鏡』は日本史で軽視されても古文の題材として使われているだけ、他の更に軽視されている『水鏡』などの「鏡物」と比べたら扱いが良い方であろう。

かようなわけで、最近は山川の日本史や世界史の教科書を、相変わらず「大人の復習」などと称する暇潰しの道具として販売しているようだが、個々のテーマについて関心をもってみればすぐにわかるとおり、最も詳しいとされる山川の教科書ですら、個々の事跡や人物については教科書的としか言いようがない、ずさんな記述に満ちていると言ってよい。これが、文科省などから要求されて紙面としての限度があるから仕方ないのだと言うなら、これもまた「底辺官庁」と呼ばれている文科省による教育水準への下方圧力というべきものであろう。僕は、歴史に興味がない人や勉強しない人、あるいは端的に言って頭の悪い人を切り捨てよなどと言っているわけではなく、必要に応じて一部だけ知っておきたい人とできるだけ詳しく知りたいという人の両方をカバーできる教科書は、大部の self-contained なテキストしかありえないと思うので、そういうものをしっかり教科書の出版社に求めるのが望ましいと思う。それに、どのみち勉強しない人は教科書が900ページだろうと9ページだろうと勉強なんてしない。そして、勉強が嫌いだから9ページの教科書でよいのだと言う生徒に、そういうことではどんなリスクがあるのかを教師が9ページの教科書で説明するわけにはいかないだろう。安物の年表みたいに箇条書きされた出来事の羅列を丸暗記するだけでは歴史を学んだことにならないのだと教員が説得する材料として、十分な分量のテキストが必要だと思う。

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