Scribble at 2023-03-17 09:45:01 Last modified: 2023-03-17 11:12:25
2020年に公開された、オープン・アクセスのアンソロジーだ。スウェーデンで考案された交通政策の考え方であり、東北の大震災での過剰反応に別の極論で反応した、日本の自称「リアリスト」やリバタリアンからはたいへんに評判が悪い、いわゆる「ゼロ・リスク」の発想を元にしている。もちろん、イージーな社会主義者でもあるまいし、現代の研究者が政策一つでリスクをゼロにできるなどとは考えていない。とは言え、NGO などの参加者や支持者によくある、「理想を追求する姿勢に文句を言うとは何事か」的な道徳的な恫喝を伴う自己欺瞞や偽善者のスタンスに堕す危険性や、そういう手合いに理屈が悪用される心配はあろう。
しかし、当たり前だがリスクをゼロにするのは原理的に無理があるからといって、リバタリアンのようにケ・セラ・セラ、車に轢かれても死ぬだけさ、俺には既に莫大な財産があるよ的な、クズ成金の強がりをいつまでも叫んでいたところで、社会は(彼らが求める方向にすら)何も変わらないわけである。リバタリアンの致命的な欠陥は、簡単に言えばリバタリアンの理想を強要する不自由を彼らが常に裏で求めるところにあり、要するにリバタリアンなんてどれほど自由を叫んでいようと、実体としてはただの社会主義者(酷い場合は、ミルトン・フリードマンのように独裁を支持する人でなし)なのだ。