Scribble at 2026-07-09 09:55:27 Last modified: 2026-07-09 10:01:15

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アメリカ大陸においては、強固なトーテミズム的文化を持つ地域であるプーナ(puna)においてラマやアルパカの飼育が始まり、それは主に羊毛の獲得を目的としていました。しかし、このラマの飼育をそもそも可能にした経済的基礎は、プーナの諸部族によって収穫され、民族の生存・栄養の基盤を提供していた野生のジャガイモでした。この事実から、プーナのトーテミズム信奉者の間でラマの飼育が自発的に発生した(autochthonous descent)と直ちに結論づけることはできず、後に南アメリカに到達したアジア・ポリネシア系の文化の流れが家畜飼育の契機を与えたのだろうという可能性、ひいては蓋然性が残るとしても、それによってトーテミズム的文化、牧畜民族の文化、そしてポリネシア文化の間の関係が強化されることは確かです。収穫民族の文化圏は途方もなく拡大され、当初の経済形態という点だけに注目すれば、トーテミズム的牧畜民とポリネシア文化をも包括することになります。ただし注意すべきは、シュミット神父が自身の牧畜民文化圏の典型的な要素として挙げている基準が、ラマ飼育民には見られないということです(それがトーテミズム的文化やポリネシア文化に属していない限りにおいてですが)。牧畜民そのものは、間違いなく元々は収穫民族でした。この経済形態こそが、そもそも家畜飼育の発生に可能性を与えたのであり、この事実が経済的にもはや確認できなくなっている場所であっても、牧畜民文化における無数の遺物は、その根源にある経済形態を示しています。

Einleitung in die vergleichende Völkerkunde

上の文章は、ドイツの民族学者であったユリウス・リップスが1930年に出版した比較民族学の概論から引用している。もともと、阿部公房の『内なる辺境』というエッセイ集にリップスの名前が出てきたので、具体的にどういう議論をしているのか調べていた。日本では色々な事物の由来を解説した一般向けの本が翻訳されているだけで、殆ど知られていない研究者であろう。だがリップスは、従来の「狩猟社会から農耕社会へ」という生活スタイルの展開に異議を挟んで、現代のスタンダードな見解として知られている、「狩猟社会から収穫社会へ、そして農耕社会へ仕方なく移行した」という推移を打ち立てた人物だ。この仮説によると、人類は農耕を発明して定住するようになったわけではなく、木の実などの採集物を特定の場所で収穫するために定住し、そこで定住し続けるために必要に駆られて農耕するようになったのである。

もちろん、人類史、文化人類学、あるいは考古学といった分野の学説は、とりわけ社会や人間関係などの学説となると、物質的な証拠が決め手になるとは限らないため、その大半が仮説として有力であるかどうかにすぎず、そういう意味では storytelling としての説得力、最近の流行語を使うなら「ナラティヴ」としての有効性が重要だし、それしか尺度がないというのも事実である。もちろん、ここから非科学的な議論や陰謀論などのイージーな相対主義へと転落することは(とりわけ凡人には)容易い。しかし、作家のエッセイで語られていたくらいのことで納得していては、話が文化人類学のような学術の仮説だろうと、しょせんそういう連中と同じレベルで納得してしまっているのも同じだから、こうやって具体的にどういう議論が展開されているのかを調べてみることも有効だ。

ありがたいことに、現在はパブリック・ドメインとなった(2020年にリップスの著作物は権利が失効した)著作物の多くがオンラインで公開されていて、しかも原文がドイツ語であっても生成 AI に翻訳させると大要はつかめる。

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