Scribble at 2024-02-21 20:09:23 Last modified: 2024-02-21 20:55:43

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古墳あるいは遺跡の呼称について、実は中学生の当時はもっと過激な意見を持っていた。森(浩一)先生は、具体的な比定あるいは由来の根拠がないにもかかわらず、或る古墳を「仁徳陵」だの「応神陵」だのと呼ぶことは考古学的にナンセンスであるという意見を持っていたのである。

実際、その古墳から出土した遺物との相対年代に加えて、その古墳を仁徳天皇の墓だと前提し、更には仁徳天皇が「倭の五王」の「讃」であり、「讃」が421年に宋から与えられた称号であることなどを次々と接ぎ木して、まるで絶対年代の基準であるかのような議論をする古代史研究者もいる(たいてい、考古学者の著作物からの伝聞で「そうなっている」かのような解説を書く手合だ)。だが、それらはしょせん仮定に仮定を繋げた一つの巨大な仮定の一式にすぎない。その確からしさは、せいぜいマンガや小説で描かれる古代のファンタジーと大同小異であろう。小説やマンガやアニメとしてなら許されても、歴史「学」の著述としては許されないと思う。

かようなわけで、森先生は「仁徳天皇陵」といった根拠のない比定に基づく呼称を否定したり、あるいは「伝仁徳陵古墳」だのという考古学と宮内庁見解との妥協としか思えない奇形やキメラと言うべき呼称を否定して、「大仙古墳」という呼称を使うべきだと主張した。けれど、僕は更に進んで、現地の人々が昔からどう呼んできたかという理由で呼称を決めることすら不適切だという論陣を張っていた。なぜなら、みなさんも考えてもらいたいのだが、みなさんの実家に先祖代々の墓があるとしよう。仮にみなさんの実家が東京都千代田区千代田にあったとしよう。そして、地元の人々がその墓を勝手に「千代田墓」などと呼んでいたらどうだろうか。なんとも思わない人がいてもいいが、やはり一定の人々は「そんな名前で呼ばないでもらいたい」と思うだろう(僕だってそうだ。当家の先祖の墓は山口県の周防大島という島の海岸沿いの墓地にあるが、「海辺墓」などと呼んでもらいたくはない)。つまり、地元の人々の慣習とか由来に従うということに、僕は何か歴史学や考古学としての妥当性を全く認められないわけである。なるほど、その土地がそう呼ばれてきたという事実に何らかの事実を推論するためのヒントがあるという可能性は認める。あまり具体的な実例はないものの、地元での伝統的な呼称によって被葬者を推定する根拠になりえるかもしれない。しかし、常にそうであるとは思えないし、寧ろ大半は逆に何百年も経過してから、もともとの由来や被葬者とは関係なしに名付けられた可能性のほうが高いと思われるため、地元で呼ばれてきたという呼称に固執することは逆に混乱の元となる可能性があると思う。

したがって、中学時代の僕が提案したのは、端的に言えば兆域として設定された平面区域の中心(兆域の範囲が収まる最小の円の中心)の緯度・経度を使って、例えば大仙古墳であれば「34-33-49N 135-29-13E」などと表記する。ちなみに、「古墳」と「遺跡」を厳密に区別することも(実は)考古学的にはナンセンスであるため、「~古墳」などという呼称すら使わない。そして、この無味乾燥で、無粋で、味気なく、興醒めで、事務的で、退屈な呼称こそが、埋蔵文化財の保護や理解にとって実は何の貢献もしない無数の好事家やインチキな歴史ファンを遠ざける効果があるのだ。実際、そういう人々が騒いでいるというだけで「考古学ブーム」などと呼ばれて、歴史についての関心や埋蔵文化財行政への理解が増進しているかのような体裁になってしまい、多くの人々にとってはデタラメなことをやり続ける保証を与えてしまう。要するに、当時の僕から見ると、そういう軽薄なブームで「歴史好き」を公言する人々が単に数として増えて、グッズが売れるだの通俗本が売れるだの博物館であれこれの「歴史イベント」が開催されるという何らかの経済活動が活発になるというだけでは、本来の文化財行政や学術研究の進展にとっては逆効果であるとしか思えなかったのだ。実際、僕が1970年代から1980年代にかけての「考古学ブーム」にあって、埋蔵文化財行政に関わる多くの職員から聞いていたのは、とにかく現地説明会を何度も開いてゲストに解説する手間がかかるということだった。現地説明会は、イベントとは違って有料でない場合が多く、せいぜい配布される資料の実費代を集めるくらいだった。でも、それを準備するために特別の工数が必要になるし、だいいち現地説明会を開いているあいだは発掘調査の業務が停止することも多い。全て完了してから発行される調査報告書を読んでくれというのが、当時の多くの技官や担当者たちの実感だったろうと思う。なるほど、出土した遺構や遺物を実際に眺めるという経験は、国民の税金も投じて実施している調査であれば、共有してもしかるべきだとは思う。考古学のプロパーしか実際の遺跡を目にすることができないなどというのは、もちろん傲慢な話でもあろう。だが、遺跡や遺構や遺物はやはりプロパーによって掘り出され、計測され、解釈され、扱われる対象である。埋蔵文化財の発掘調査は、そこが最優先であり、そこが一般人の好奇心を満たすためだけに蔑ろにされるのは、文化財行政の長期的で本来の目的からしても逆効果になるし、学問の目的からしても不適切だと思う。

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