Scribble at 2024-02-21 17:44:26 Last modified: unmodified
先日、NHK の『あさイチ』でラジオとかポッドキャストの話題が出ていた。これは何度か書いたことがあるけれど、そもそも Radiko の IP サイマル配信のアイデアって、電通に IP アドレスで配信地域を制限できるかと聞かれて、俺が「ISP の持ってる割当情報がもらえるなら、おおよそやれる」って返事したことから始まったわけで、もう関係者なんて業界に残ってないか別会社の偉いさんとかになって関与してないだろうけど、意外に気楽な会話とか思いつきから始まってたりするんだよね。
ともあれ、僕もラジオは長らくお世話になっているし、いまでもポッドキャストは色々と聴いている。初めて聞いたのは、ご多分に漏れず中学時代の深夜ラジオだった。だいたい、学校でも「ANN派」と「ヤンタン派」とかがいて、配信の時間帯が違うんだからどっちでもいいだろうと思うんだけど、当時もあった「大阪イズム(2ちゃんねる以降は「大阪民国ナショナリズム」などと揶揄されるが、必ずしも在日の人々に関連付けた言葉だとわかってない人も使ってたりする)」という気質の強い連中は、なぜかヤンタンを聴くのが「正義」みたいなことを言ってて辟易させられたものだった。僕は、もちろん逆にヤンタンの田舎臭い雰囲気が嫌だったので、ずっとオールナイト・ニッポンを聴いていた。それこそ中島みゆきやビートたけしや笑福亭鶴光などといった時代である。思い起こせば驚くべきことだが、確かに番組が始まるまで夜の10時から12時くらいまで仮眠はしていた記憶があるけれど、それから深夜の1時から2部の番組が終わる5時までずっと聴いてて、なんなら5時から始まる牧師の講話とかも流してるような勢いで、そのまま学校に行って朝練とかしてたものだった(大阪ではオールナイト・ニッポンの第2部は KBS 京都のラジオでしか聴けなかったので、KBS 京都はオールナイト・ニッポンが終わると土地柄もあってか宗教の番組だった)。そして、FM でも毎週のように土曜日になると学校から帰ってきて洋楽やクラシック音楽のエア・チェックをする習慣もあった。なので、正直な話をすると、1980年代の日本のアイドルとかニューミュージックとかは、せいぜい親と一緒に観ていた『ザ・ベストテン』に出てくる人々くらいしか知らない。
そうこうしているうちに、ラジオは聴かなくなったけれど、上記のように細々とラジオの雑誌は続いているようだ。ただ、取り上げられている人物の名前を見ると、石原裕次郎だ、永六輔だと昭和の人物ばかりで、もうこういう雑誌を眺めているのも高齢者なんだろうなと思う。