Scribble at 2022-12-10 15:31:08 Last modified: 2022-12-10 15:39:14

昨日、会社からの帰りに松屋町あたりを歩いていて思ったことがある。ちょうど、東横堀川を渡る橋を通りかかって、北の方向からクルーズ船がやってきたところだった。なんと、東横堀川なんていう泥川にクルーズ船が走っているのだ。川の汚さもさることながら、川から眺める両岸の風景も、チンピラや水商売のねーちゃんみたいな連中しか住んでない小汚いマンションばかりだというのに、変なことを考えるものだ。実際、それなりに観光客が増えてきている大阪市内ではあるけれど、20名くらいは乗れるクルーズ船に客はいたかどうか分からないほどだった。いや、そんな話はどうでもいい。

どうしてそういう光景を眺めながら思いついたのかは覚えていないのだが、よく経営とかプロジェクト管理とかについて、生半可なことを言うコンサルとかが話したり書いたりする議論について、どうも bullshit の一つではないかと思えたのだった。それは、社員一人について30秒の無駄が生じると、10,000人規模の企業では300,000秒、つまり4日分に近い時間を全く働かずに浪費していることになるから、それぞれの社員が30秒の時間も無駄にはできない、よって、どうでもいいような横断歩道で止まるのは会社の業績にとって背任行為にあたるから、積極的に信号を無視しよう・・・とまでは言っていないが、実質的にそういう反社会的な行為を推奨するようなことを言うわけである。そもそも、歴史的に言っても会社とか組織というものは国への対抗手段として生じたし、国も地方や同業者の集団を規制する対抗措置として発展したため、会社というものはそもそもにおいて国の法律に反抗するものである。それゆえ、日本の多くの会社では、個人情報保護法なんて国が決めた法律に従う必要はないか軽視して良いと言う社内慣行が盛んに業績や社風として唱道され、経営者が違法行為を英雄譚のように語ることすらある。よって、自然なことだし the next logical step とすら言えるわけだが、個人も家庭や自分の趣味という、もう一つの対抗措置を講じて、平気で会社の金を横領したり、営業は外へ出ればパチンコ屋へ直行したし、土建屋では手抜きが横行していたし、モノづくりを声高に叫ぶ業界に限って偽検査報告が横行していたわけである。技術力が高い人はいる。もちろんそれはそうだが、その割合なんて他の国と変わらない。単に狭い国土で人口が多いため、優れた技術者が集まる特異な場所であるかのような錯覚を自分たちで起こしているだけなのだ。

そんなこんなで、普段からバカげた経営書はともかく、ビジネスについて事程左様に語られている話の多くは、根拠もなく歴史的な証拠も社会科学的な調査結果もなく、いやそれどころか書いている本人の経験すらないという、はっきり言えば妄想や作り話の類であろう。よって、社員一人が子供の目の前で交通ルールを守って信号を30秒ほど待つということすら、「会社の業績アップにとっては背任行為である」などとほのめかすヤクザ者が社長を名乗り、文字通り反社会的で不道徳な振る舞いを「愛社精神あふるるサラリーマン」であるかのようなロール・モデルにしたてあげるわけである。そして、30年ほどして会社のトイレで血でも吐いて手遅れの癌で死ねば、2階級特進で社葬でも開いてもらえるのだろう。

これから企業に就職しようと思っている人々も、だいたい分かっているはずだと思うが、「社員は家族だ」なんてことを平気で言う人間こそ、絶対に信用してはいけない。ていうか、そんな会社に入ってはいけない。企業の経営にとって人的資源が大切であると考えるのは正しい。それは否定しないが、それと従業員が「家族」なんてものだと考えるべきかどうかは別であり、おおむねそれは間違いである。そして、それは雇用関係を親子関係と混同しているというだけではなく、そもそも親子関係そのものを理解していないという点でも間違っているのだ。なぜなら、そういう場合に前提されているような、親と子が同じ目的や理由や価値観を共有して生きているなんて、そんなものは漫画やラノベ以下の妄想でしかないからである。親と子は、明らかに違う動機とか目的とか関心をもって生きていて、彼らが同じ職業に就いたとしても、人生としての目標を全く同じように抱いているなんてことはない。口では同じ言葉を使って言うとしても、その中身は違っている筈である。

ともあれ、社員一人が30秒を無駄にすると会社全体で4日の無駄がどうのという「算数」をして見せて得々としているようなバカどもの経営学というものは、何の実証も論証もできない屁理屈の山でしかない。なんでこんなバカ話を、数々の出版社から毎年のように出版しているのか、僕にはまるで理解できないのだけれど、昨年のいまごろまで70冊くらいのビジネス書を読んで感じたことも含めて考えてみると、要するに誰も経営のことなんて真面目に学ぼうとしてないし考えていないということなのだろう。大半の連中は、単に子供が絵本を読むように字を眺めているだけのことでしかない。そうして時間を過ごすことが何かの役に立つという、まぁ勉強のできない人が陥る典型的な錯覚と同じなのだ。なので、本当のところ、そこに何が書かれていて、どういう議論が展開されているかなんてどうでもいいのである。『ブルーオーシャン戦略』という本のページを最初から最後までめくって、印刷されていた文字を眺めたという事実があればいいのだ。その証拠に、『ブルーオーシャン戦略』は相当な数が売れたわけだが、冒頭で紹介されている、事業を展開する市場を切り替えて成功した企業がどこだったのか(ちなみに、新型コロナウイルス感染症の蔓延が大きく影響して倒産してしまった)、殆どの人が覚えていないのである。

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