Scribble at 2026-03-03 19:29:03 Last modified: 2026-03-04 07:39:15

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Cybernetic Avatar

この石黒浩という人物は、とにかくマスコミでは本人に似てるロボットというネタといっしょにしか紹介されないので、結局のところロボット工学者として何をやった人なのか、ぜんぜん分からないんだよね。正直なところ、顔を似せるなんてだけなら、いまどきコスプレ高校生でも高い技量があるわけで、そんなもんロボット工学の業績と何の関係もないはずなんだよ。

石黒氏の本来のテーマは、「身体、脳、空間、時間の制約から解放される社会」という野心的なビジョンにもとづいている。そして、これはテクノロジー(サイバネティクス、AI、遺伝子工学など)を使って、人間の生物学的な限界を超えて進化しようとする transhumanism と殆ど同じだと言ってよいだろう。ロボットやデジタルなアバターを自分の依代にすることで、生物学的な死の影響を最小限に抑えようとしているわけだ。

もちろん、こういう発想に対する僕の科学哲学者としての意見では、大きな疑問符がつく。まず、こういう発想に沿ってデジタルなアバターへ自己意識を「アップロード」するなどと言っている詐欺師や SF オタクは、multiple realizability をどうやって正当化するかという論点をはぐらかすことが多い。10年以上も前の話だが、エリザー・ユドコウスキーとマッシモ・ピグリウーチの討論でも、ユドコウスキーはこの議論に真正面から妥当な説明が出来なかった。だが、こういう HCI の仕組みを概念図などで見せられれば分かるように、そこで起きるのは脳波や神経細胞の活動パターンという情報の「転送」つまり「コピー」でしかない。そして、ユドコウスキーは multiple realizability が不可能であると悟ったのか、そのコピーが存続すればよく、コピーしているあいだ手術台で眠っている(「コピー元」である)僕らの生命活動が止められても、それは殺人にはあたらないという。これは、僕には相当にグロテスクな意見だと思える。

他方、transhumanism のアプローチを志向しているようではあれ、石黒氏のポイントは個人として死を避けるということよりも、寧ろ生きている人々の話に重点が置かれているようだ。つまり、少子高齢化や労働力不足といった社会課題を解決するために、高齢者や障害者が社会に参加し続けられるためのインフラとしてアバターを利用する活動を導入すればよいと述べている。つまり、社会システムを維持するための身体の拡張や強化という側面が強調されているのが特徴だ。これは、posthumanism と言ったほうがよい発想だ。いまでも、生成 AI が僕らの思考の代替ではなく延長であると言われるように、僕らのアイデンティにも関わってくる議論であって、こちらであれば十分に現実的かつ建設的な議論となりえる。

アメリカの場合は特に、世俗化したクリスチャンが多いという事情から分からなくもないが、いい加減に「不老不死」などという戯言を目標に掲げるも同然の愚行で社会やテクノロジーを牽引したり煽ることはやめたほうがいいと思うね。

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