Scribble at 2022-12-10 14:25:20 Last modified: unmodified

人、とりわけ人の集団は、自分たちに欠けているものをこそ声高に強調したり学ぼうとするし、それが重大事だと他人にも語って見せる。アメリカ人が差別や貧困の先進的な研究を続けるのは、アメリカこそが貧困の深刻な問題を抱え続ける国であり、ありとあらゆる差別の先進地域だからである。これは僕が当サイトで何度か述べてきた意見だ。

さきほど到着した、イギリスの Nick Hayes という作家が書いた The Book of Trespass (2020) という風変わりな本がある。紀行文か人物描写のエッセイみたいな調子で書かれているが、実はイギリスの歴史や風土や人の暮らしから「私有財産としての土地」という観念について描くという作品だ。彼自身がイラストレータでもあることから、書籍の体裁としてはチャーミングな作りになっているけれど、本書が言い表している内容は相当にラディカルなものである。

こういう背景や事情を理解してないと、たとえば日本ではイギリスの(事実上は貴族趣味の)暮らしを真似てロハスっぽいことを夢想する人々がイギリスの住宅事情を紹介するときに、必ずと言ってよいほどバカの一つ覚えのように、家具の付いた古風な借家に住むのが定番だと平気で言ったり書いたりすることとなる。しかし、家具付きの借家が普及しているのは、つまり trespasser(不法侵入者)としての移民を排斥し、土地の所有権を渡さずに済ませるための手段なのである。家に何年と住んでいようと構わない。一家として何世代も暮らしていようと、それはいい。でも土地は絶対に渡さないというわけである。狭くて起伏の乏しい土地に生まれ暮らしながら、一時期は広大な大英帝国を築いて略奪から搾取からやりたい放題で莫大な富を築いた人々の末裔が、最後の資産として守り抜いているのが土地であり、その権利を守るために「英国風」などというライフスタイルや価値観を作り上げたわけである。そして、この本ではそういう状況に対して、外から侵入するというアプローチで(もちろん合法な範囲でだが)切り崩そうというわけだ。

このところのイギリスを見ていると、金融の中心がアメリカに移って久しいし、それどころか首相がインド系の人物になったりしているのだから、表面的には様子が変わってきているようにも思える。でも、たぶんそのくらいでは大きく変わったりしないのが人々の暮らしであり生活態度でありイデオロギーというものであろう。本書には、皮肉なことに「侵入」のチャンスを描く中にこそ、その強さを理解するヒントもあると思う。

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