Scribble at 2021-02-14 15:45:36 Last modified: 2021-02-14 16:04:55

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フニャフニャは安いのかもしれないけど、スーパーでの買い物は日常茶判事。自分で入れるにしても、店員に入れてもらい待つにしてもカゴ型より時間がかかってストレスたまらない?

スーパーでの買い物について。スーパーでレジ係してますが、赤ちゃんを抱っこし... - Yahoo!知恵袋

プラスティックの廃棄物で海洋汚染が進んでいるという話題が、ようやく公衆の知る大きなテーマとして取り上げられるようになった(もちろん何度も言っているが、海洋汚染の原因はプラスティックだけではない)。そのような経緯で、多くの小売店では「レジ袋」と呼ばれるポリプロピレン製の安い袋を有料で販売するようになったわけだが、趣旨としてはレジ袋を使わずに自分で袋を用意してゴミを出さないようにするということだ。どこかで大量のレジ袋を安く調達して、それをスーパーへ行く度に消費していたのでは、制度の趣旨に反している。また、恐らく過去にもらったレジ袋を何回も使い回すことも、恐らくは推奨されないだろうし、エコバッグやトートバッグをファッションのように買い替えて浪費するような行為も趣旨に反するとは思う。なんにしても、そろそろ単純な大量消費による(そしてそれを前提にした投資による)安いものを大量に生産するという活動を据えた経済は、何らかの制度設計によって正しく管理する必要があるし、現に多くの国ではそういう発想で経済活動を管理している。リバタリアンや新自由主義なら、寧ろ完全な自由化を国家が推し進めるという逆向きの社会主義によって、〈生産し過ぎるバカ〉が倒産することで正しい経済循環に収斂するという、哲学者として言えば幼稚園児並の目を覆いたくなるような短絡を夢想するのだろうが、これを〈自由の強制〉という明白な自己矛盾だと理解できない時点で論外だ。あるいは彼らの希求する自由とは、国家によって自由を保証されることすら拒絶してアナーキーへ至るような自己破壊ではないのか。どちらにしても、こうした人々の「議論」なるものは、何らかの認知機能の異常による、「議論」のように見えるだけのデタラメな文字列の表出行為だとしか思えない。

話が大きくなりすぎた。そういうことを書こうと思っていたのではなく、ドン・キホーテで買った250円くらいのエコ・バッグが微妙に使い辛いので、携帯はできるにしても更に使い易いものがないかと探しているところだという話である。実際、少し調べると上記のようなページが見つかる。僕は、スーパーでは袋に詰める台が用意されているから気にしないのだが、コンビニエンス・ストアだとナイロン製のエコ・バッグは使い辛いし、そもそもレジの前で袋に詰める場所がないため、後ろに並んでいる人もいるだろうから早く詰めないといけないので焦るし、それなりに苦労する。ナイロン製の袋は、特に片手で精算したあとの財布と袋の取っ手を持ちながら、残った手で商品を袋へ入れないといけない状況だと、すぐに口が萎んでしまって商品が入らないのだ。それこそ「暖簾に腕押し」さながらに、商品を口へ当ててもナイロンが押されてしまうだけで口が開かない。そうしているうちに、だんだんイライラしてくるし、感染症のこともあるため店員に手伝ってくれとも言いにくい。店員にしても、なんでそんな扱い辛いものを使うのだろうと怪訝に思うかもしれないので、上記のように書く人がいてもおかしくない。

しかし、やはり大半の回答が書いているように、ナイロンのエコ・バッグは軽くて携帯しやすいし、安い。僕は外出するときにパンツのケツのポケットにエコ・バッグを2枚入れていて、もう1枚の方は同じくドン・キホーテで買った、更に安い100円のものだ。気軽に買って持ち歩けるのだから、どうしてもこういうものを買って使ってしまうのだけれど、何度も使い辛い思いをしてまで使い続ける〈べき〉かどうかは別の話であるというのも道理である。なので、改めて他にも色々な商品を物色してみたい。

条件は、いまの問題を解決するために、片手で持っても口が開きやすい(そして、その状態が維持されやすい)形状だとか材質であることは第一に優先するのだけれど、値段が高すぎないこと、長く使えること、それから、ふらっとコンビニエンス・ストアへ立ち寄ったり、出勤する途中でどこかの店に立ち寄るときに使うのだから、携帯するのに支障がない大きさ(に折り畳める)である必要もある。

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