Scribble at 2018-04-26 18:22:20 Last modified: 2022-09-26 16:12:12
連れ合いがシェアしていた記事であり、もちろん僕も賛成だ。いま流行している、ガキにプログラミングを教える夏休みイベントとか塾みたいなものは、はっきり言って小学生の頃からアセンブラや Basic で遊んでいた僕からすると、ケツすら拭かないで紙幣を投げ捨てる肥え溜めみたいなものだ。こういうことをやって Butler Lampson みたいな人物が育つ可能性は限りなくゼロに等しく、大量の IT ブルーカラーや IT ワーキングプアが続々と出てくるだけだろう。
あと、間違った情操教育や早期教育が子供にロクな影響を与えないという事実は、プログラミング(ていうか、たいていは「コーディング」にすぎない)に限った話ではない。
日本語ができない子供に日本で英語を教えても、英米圏のカルチャーを理解していない、実感が何も伴っていない英単語や英文法を扱える English robot が完成するだけである。それは日本人としての常識的な感覚や理解度が不足するだけではなく、アメリカ人としての生活感覚や常識も不足している、ヘンテコな人物であるということを、もう少し文化人類学者とか社会学者とか言語学者の知見を動員して主張した方がいいと思うんだよね。もちろん、「日本人である」とかないとかいうことを何か良い(悪い)事であるかのように前提しているわけではない。そういうヘンテコな人物も面白い生き方はできる。そして、言語を習得するということは、とりわけ大人になって習得する場合はなおさら、「アメリカ人」になるなんてことが目的なのではないから、そこをちゃんと割り切っていればいいのだが、どうも日本の教育ママは違う期待を抱いているらしい。
ポストモダンの人々がお好きなように、そういうマージナルな人々が何らかの特殊な文化をつくってきたという事例もあるから、一概にそういう人々が何か奇形的とか社会に悪を為すというわけでもなかろう。或る意味では、色々な既存の文化を渡り歩いたり横断するような、ひょっとするとクリエーティブな生き方かもしれない人生になりうる。でも、英語の情操教育をやってる東大ママとかは、自分の子供が華僑や漫画のコブラみたいな人々になることを夢見ているわけではあるまい。