Scribble at 2021-05-26 10:51:42 Last modified: 2021-05-28 22:39:01

心の哲学は、何十年前かのステージだと「素朴心理学(folk psychology)」なる用語が流行していた。そこでは、心理学や認知科学の専門家ではない僕らが、自分自身や他人の「心」をどう考えているかという、素人が考える心の理論とかモデルを議論していた。

けれど、その議論には巨大な嘘があった。実は、素朴心理学について語っている分析哲学者の誰一人として、市井の人々が「心」について何をどう考えているか調査したこともなければ、調査の結果があるかどうかを探したことすらなかったわけである。せいぜい、自分たちが見聞きして知っていた、人の心にまつわる格言とか言い伝えとか諺についてお喋りしていたに過ぎなかった。つまり、そこで議論されていたのは、「素人」と言うよりも「勉強不足の分析哲学プロパー自身」と言ったほうが正確であって、そこでの成果は徹底的に認知科学や認知心理学とは隔絶した、まさしく安楽椅子の空論であった。勉強不足で調査すらしていない人間が、自分たち自身について哲学の論文で語っているというだけの、ネット・スラングで言えば「自己紹介」に過ぎなかったからだ。それゆえ、いったんは分析哲学の業界でも〈哲学的なオモチャ〉としての魅力がなくなると同時に、その多くは通俗哲学書の出版社という廃棄業者へと引き取られていったのである。

しかし、議論するべきテーマが無意味になったわけではない。僕らどころか心理学や神経科学の専門家であっても正確には理解していない「心」について、われわれ人がどのようなモデルとか理論を作って維持してきたかという、(1) 文化人類学的な研究は続々と興味深い成果が(主に宗教関連で)出ているし、(2) 哲学ではなく心理学や精神分析学において、いわゆる "lay theories" の分析が始まっている。こちらは大いに期待できる。なお、実験哲学("X-Phil" などと称される)の成果もあるため、哲学としても、オモチャを放ったらかしにした子供とは違って、改めて取り組み直している最中と言っていい。

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