Scribble at 2021-05-26 11:30:46 Last modified: 2021-05-28 22:36:34

このサイトで記事を書いて公開すべきかどうかと思っている話題があって、それはネット・スラングとしては古いが「モヒカン族」と呼ばれているスタンスのことだ。

ごく最近の事例で説明すると、既にご承知のとおり、元マイクロソフトの経営者だったビル・ゲイツがメリンダ・ゲイツ夫人と離婚すると報じられているのだが、理由や事情を色々と調べていくと、どうやらビル・ゲイツの浮気だとか、あるいは別荘に少女を集めて陵辱していたとされるジェフリー・エプスタインという富豪と付き合いがあったという話が続々と出てきている。なお、ジェフリー・エプスタインという人物を知りながら MIT のメディア・ラボへの寄付を受けていた、当時の所長であった伊藤穰一氏(Joy Ito)が辞任した話をご存知の方もいよう。他にも、認知科学のマーヴィン・ミンスキーとかもエプスタインの屋敷に通っていた一人だったし、ミンスキーを軽く擁護した RMS(リチャード・ストールマン)も強い非難にさらされた。こんな風に、どれほどニュー・エコノミーなり科学なり工学技術で莫大な財産や名声や地位を得ていようと、人間のクズは白人だろうとユダヤ人だろうとクリスチャンだろうと Ivy League の Ph D を持っていようと、どうあってもクズのまま死んでゆくらしい。

ビル・ゲイツは、GatesNotes というサイトでたびたび公開している読書リストが評判となっていて、彼が勧める本は売り上げが跳ね上がるという。オプラ・ウィンフリーに負けず劣らず、多くの人々にとってはインフルエンサーとして信頼を得ていた筈である。しかし、この度の一件で、ビル・ゲイツはとりわけ女性からの信頼を完全に失ったようである。少なくとも多くの女性は、彼が推薦している本を逆に買わなくなってしまうかもしれない。

ここで、或る人物が品性下劣な極悪人だとして、その人物が書いた論説や著書を客観的に評価したり公平に扱うべきなのかどうかだ。つまり、幼女趣味の人間が書く認知科学の教科書とか、性格の悪いやつが書く科学哲学の論文とか(おい、指を差すな)、あるいは殺人を犯した人間が書く倫理の本とかを、本当に信用して良いのかどうかである。もちろん、行政法学の調査でも色々と分かっているように、重罪を犯して服役している囚人の多くは、表面的に改心したり反省したようなフリをしても、内心では仮釈放してもらいたいだけのことだったりする。詐欺師、あるいは無自覚に嘘をつくアスペルガー症候群のような人々でなくとも、本音と建前とか、要するに自分が思っていることと違うことを人はいくらでも書けるし口に出せてしまう。

よって、言動不一致だから書かれたものを信用できないとか破棄すべきだと言ってしまうと、実は殆どの人の書いた大多数の文書は、厳格あるいは正確に言って信用できるかどうか疑わしいものばかりだ。当人がひっそり書いている日記ですら、自己欺瞞の創作物となりうる可能性はあるし、僕らが仕事で〈書いている〉プログラムでも、下らない要件や与件に従うべきかどうかについて、僕ら自身が考える方針を曲げて実装してしまうことは多々ある(それを「仕事」と割り切っていいかどうかは、もちろんお金を幾らいただけるのかと、違法性があるかどうかによる)。

以前は、このような話題は「モヒカン族」というキーワードで語られていたのだが、もうそんな呼び方は通用しない。だが、本音と建前などの擦り切れた表現だけでは不十分な気もするので、論点を整理して新しい話題として提供したい。もちろん、このようなことは theme-setting となる可能性があるため(つまり、議論の範囲を意図するしないに関わらず特定し制約してしまうリスクがあるということ。官僚やインチキ経済評論家などがよくやる)、なるべく開いた議論の仕方にしたい。しかし、それでも〈開き方〉自体が一定のバイアスをもつ可能性はある。

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