Scribble at 2021-01-19 12:46:39 Last modified: 2021-01-19 12:55:25

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『大阪歴史博物館研究紀要』 第16号(平成30年4月)

「古代・中世の船場地域の景観」(松尾信裕)という興味深い論説を見つけた。船場センタービルの歴史について書いているページの良い参考になった。特に、この論説は江戸時代までの資料が少ない時期を扱っているため、末尾の参考文献も資料の一覧として便利だ。

それから結語で書かれている、

「徳川幕府は大坂を復興させるにあたって、それまでの市街地の範囲を大阪湾方面へと拡大させていった。それは大阪湾から瀬戸内海を介して西国に通じる大坂の立地条件に着目し、港湾機能をさらに充実させ大坂を西日本の水上交通の窓口とした。その手段として大坂を西へと拡大発展させていった。」

という文章を読んで、それまで大坂の東西方向を重視したのは秀吉だと思っていたので、誤解を修正できた。

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