Scribble at 2022-12-26 12:44:57 Last modified: 2022-12-26 14:31:57

オンラインのインチキ考古学者どものブログ記事とかが全く信用に値しないのは、僕らのように研究者を志望していた(そしてプロパーからも嘱望されていたことすらある)人間から見れば特徴がはっきりしている。その特徴の一つが、どういう遺跡について語るにしても、ほぼ全ての事例で該当する遺跡の発掘調査報告書を見てもいないということだ。当然、発掘調査報告書というものはプロパー向けの記録として作成されたり行政機関に提出されるので、素人には理解できない内容であるから、ググったページを幾つか読むだけで愚にもつかないブログ記事やページを「執筆」なさるお歴々が読めるわけもないし、そもそもそういう文献があることすら知らないだろう。

1980年代の初頭に考古学を学んだ僕らにすれば、関連する遺跡の発掘調査報告書を読むために大きな図書館へ通ったり、地元の図書館になければ発掘が実施された地域の図書館にまで足を向けることもあった。また、大阪府では埋蔵文化財センターがあったため、当時は国鉄の京橋駅からバスで蒲生四丁目まで乗って、バス停を降りたところに小さな事務所があって、そこで目当ての報告書を見せてもらったり購入した覚えがある。中学から高校にかけて住んでいた東大阪市では、東大阪市立郷土博物館はもちろん、中央環状線の沿線にあった東大阪市の埋蔵文化財調査会へ行って、いまでも実家に保管しているが、広げるとB0版という巨大な遺跡地図も買った。歴史時代に至る前は遺跡や自然環境の痕跡しか資料がないため、考古学で何かを学んだり論じるには発掘調査報告書の理解が基礎になる。これを無視して語られるものは、僕は原則として全てファンタジーだと思っているので、小説家がデタラメを作品として公表するのはいいが、素人の分際で空想を「歴史」だ「史実」だとブログで勝手に書き殴るのは(それどころかウィキペディアからのコピペで「国史」まで出版したバカもいるわけだが)、右だろうと左だろうとイデオロギーとは関係なく文化に対する冒涜であろう。それこそチラシの裏や手元の日記帳にでも書いておけばいいものである。

こういう状況を思えば、いまは『全国遺跡報告総覧』(sitereports.nabunken.go.jp)のようなサイトがあって、安くても1冊500円はするような発掘調査報告書が無料で読めるし、それどころか殆どの公共図書館をしのぐ分量がアーカイブされていて、足を運ぶのが難しい青森や沖縄の報告書も読める。手元で利用できる情報は、僕らが考古学を学んでいた当時とは比較にならないほど安価で大量かつ迅速に収集できるが、結局はそれを活用するホモ・サピエンスの知性や教養が衰退したり停滞していては意味がない。それこそ、有効な分野については GPT3 のような解析アルゴリズムに作業させた方が有益だという話になりかねないわけである。さて、そうやって大量のデータを処理してもらって、いまの考古学少年少女に残されたものはなんだろうか。ブログに出鱈目を書き殴るための「想像力」とやらだろうか。そんなものが、大人が御膳立てした出来合いのゲームやオンライン・サービスをプレイするだけで育った子供に残ってるかどうかは疑わしいが。

そして一番困るのが、この手のインチキ考古学者の代表が新聞記者であるという点だ。例えば、『産経新聞』のサイトで2021年12月22日に記事を公開している人物(産経新聞和歌山支局長)は、「邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓のイメージが強い箸墓古墳(3世紀後半)」などと書いているが、そんなマスコミに植え付けられたイメージを持ってるのはインチキ考古学の本や新聞記事を読んでる無知な人だけである。

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