Scribble at 2022-02-08 09:45:31 Last modified: 2022-02-08 10:04:28

いまや Windows でアカウントを作成するには、ローカル・アカウントだけではなく「Microsoft アカウント」と呼ばれるネットワーク接続が前提のアカウントも作成して運用する必要がある。特に、僕のように色々なノート・パソコンを取り換えながら業務に使っている場合は、退職者から接収したノート・パソコンでいちいち Microsoft Office のスタンドアロン版のライセンスを設定しなおすことはできないし、ノート・パソコンに付属してくる Microsoft Office のライセンスというのは、1年という期限付きのライセンスであることも多く(それゆえライセンスが付いているノート・パソコンでも10万円しなかったりするのだ)、安定して使えない。よって、僕は会社で使うメインの Windows マシンにはスタンドアロンのライセンスを使っているが、それ以外のマシンではブラウザでアクセスする無償版の Microsoft Office を使っている。

ブラウザ版の Microsoft Office(結局、マイクロソフトの公式サイトを見ても正式名称が分からない)は、もちろんだがスタンドアロンの Office Suite アプリケーションと比べて、単純な違いというよりも欠点がいくつかある。たとえば、フォントを自由に指定できないとか、罫線の種類が限られているとか、そういったことだ。僕もいわゆる「ネ申エクセル」や「エクセル方眼紙」使いの一人として業務用の帳票を Excel でレイアウトして使っている一人であるから、これはそれなりに困る。

「ネ申エクセル」に批評があるのはわかるが、では代替手段としてまともなものがあるのかという問題に話を移ると、何もないではないかと言いたい。Word なんて全くレイアウトの融通が利かないし、まさか PowerPoint を Excel に代わって帳票のテンプレートに使うなんてありえない。結局、グリッド状のフレキシブルなレイアウトができるソフトウェアとして Excel は優れたデザイン・ツールなのだ。スプレッドシート〈として開発された〉のだからデータ入力や統計分析に使うべきだなどと言っている方が小役人みたいに頭の硬い人々だと思う。日本人の Excel の使い方として、もちろん Excel で「作品」を制作する人もいるわけで、業務用の帳票が半紙と同じくクリエーティブのキャンバスであるという事実は認めるべきだ。それがいけないというなら、50年前の社会党じゃあるまいし、批判だけしているのではなく、プログラマや IT ジャーナリストを名乗っているなら代替となるアプリケーションを開発して見せてみろというしかない。それができない、「日本」とか呼ばれている文化的・技術的な辺境地帯の無能どもに、同じ地域で生活するユーザの運用実務を否定する資格はない。

では、個別の論点を取り上げてみよう。まず、ネ申エクセルを否定する人々がサルのマスターベーションと同じように昔から延々と繰り返して指摘してきたのが、「データの再利用性」という錯覚だ。これが、XML や XHTML などのようなガラクタのフォーマットと同じく現実を無視した夢想にすぎないことは、いまや XML/XHTML のマーケティングと衰退の歴史が教訓となって残っている。エクセル方眼紙は、表という捉え方で言えば、テンプレートごとの統一性や規則性にも欠けているし、テンプレート上での配置にも行と列での対応関係がない。よって、エクセル方眼紙は「紙文化の残滓」として片づけられる。しかし、逆に VR 上でバーチャルな書類への「押印」という発想まであるわけで、紙という物質や形状の話に固執して批評するという理解の仕方じたいが古臭いわけである。ちょうど、紙幣という物質の話に固執して貨幣の概念を理解していない素人が、キャッシュレス決済や暗号通貨を「バーチャルなお金」だと非難するような滑稽さと同じである。

XML に限らず「データの再利用」という目的がアプリケーションやデータのフォーマットについて至上命題であるかのような錯覚を特に学者に引き起こすのは、どうしてなのか。彼らが単に Office suite の利用実態と歴史(もちろん各社での運用の経緯という意味である)を知らないとか、学者たるもの現実を敢えて無視して理想や形式を追求するべきであるといった、輪をかけて悲惨な自己欺瞞に陥っているとか、いろいろな理由はあろう。もちろん、凡人の利用実態などに寄り添ったり軽薄な「理解」を示したり、評価として手加減する必要などないわけだが、だからといって現実の事業者での利用実態が関係ないかのごとき錯覚によってアプリケーションの利用方法を語っても、それこそ現実のビジネスや業務には関係がない。正直、われわれが Excel を使っている多くの場面では、再利用する必要など最初から無い事柄について扱っているのだ。本当に再利用する必要がある財務や経理のデータなどは、そもそも弥生会計とか給与奉行とか専用のアプリケーションが昔から使われているわけである。

なお、「ネ申エクセル」が日本の会社や役所での生産性を低下させているなどと言う人もいるが、私見ではこれも重大な錯覚だ。日本人がパソコンを利用する環境において、もっとも負担になっているのは、特定のアプリケーションなどではなく、IME やローマ字配列のキーボードである。ローマ字入力などという不合理で非効率でクズみたいな変換効率を何十年も改善できない無能の産物を国民の殆どが使わされている事実こそ、生産性に対する重大な下方圧力である。これに気付かないバカか、あるいは気づいていながら指摘する気概もない腑抜けに、生産性について語る資格などない。僕が愛用していた NICOLA 配列(親指シフト)が最も優れた日本語のキーボードであるかどうかは決められないにせよ、プロのキーパンチャーとして10年ほど仕事をしていた経験から言っても、ローマ字入力用の配列などというウンコ同然の方式よりも格段に効率が良いのは確実である。僕は英語でも文章をタイプするので、もちろん英語はキーボードに刻印されている通りの配置でも構わないが(現状の配列が最も効率的である保証はないが)、異なる言語については見合った入力方式やキーの配列とか機能の割り当てがあってしかるべきだろう。そこを不問にしておいて、たかだか表計算ソフトの使い方ていどをごちゃごちゃと議論しているようなていどの人間に、コンピュータやアプリケーションについて何か他人にものを教えたり公で発言できる見識があるとは思えないね。

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