Scribble at 2021-10-28 19:16:55 Last modified: 2021-10-28 19:22:13

添付画像

震災から8年を迎えた今、報道をする側の姿勢が改めて問われているのかもしれない。

被災地はストーリーの素材じゃない。東日本大震災の報道に、蒲鉾本舗高政が苦言を呈す理由

正直、Twitter でバズったツイートを拾い出し、適当な質疑だけでイージーに書いてる学生レベルの記事だとは思う。

まず最初のコメントで指摘されてるように、ジャーナリストやライターの無責任な態度を表す典型的な表現が、「~かもしれない」というやつだ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。本当にそうなら、取材なんて意味ないし、この記事を読むこと自体も時間の浪費だろう。おまえの人生の暇つぶしに他人を巻き込んでるんじゃねーよってことになる。このていどの話で是非を断じるくらい、社会人の一人ならケツの穴を閉めて意見をはっきりと書けよと、おじさんは言いたい。間違ったら間違ったで構わない。誰も君たちみたいな小僧に(そして我々自身にも)無謬の知性なんて期待も仮定もしてはいない。

それはそうと、上記で添付した画像は本文じゃなくてコメントなのだが、いまだにこんなことをリアリズムよろしく平気でしゃべるガキがいるのは驚きだ。典型的で安っぽいメタ議論だし、高卒という以外に自分がメディアかジャーナリストの関係者でもないだろうに、いったい報道の何を分かっているというのか、自分がどれほど傲慢なことを言ってるかの自覚もない。しょせん世の中はマーケティングや storytelling が支配すればいいと言ってるも同然だが、実はそんなリアリズムなんて1980年代に糸井重里+博報堂+西部セゾングループが展開していた妄想の焼き直しに過ぎないのだ。

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