Scribble at 2024-08-18 08:17:40 Last modified: 2024-08-19 07:25:27

しかじかという人物をこれこれ主義で理解するのは危険である、なーんてことを古典の解釈などで見聞きすることが多い。これはつまり、或る人物の主張であるとか著作物であるとかの体系なり定式化が、既存の定式化や理論どうしにある基準で区別されている個々の範囲に収まっていないとか、それらの範囲からはみ出しているとか、とにかく既存の何々主義とはズレているという意味なのだろう。それが、当の人物の未熟さによる体系としての不完全によるものなのか、それとも既存の何々主義とこれこれ主義との区分が何かの分け方として不適切であることによるのかは、一概に言えるものではないだろう。しかし、少なくともこれらのうちどちらかを立証しない限り、「誰それの思想はなになに主義で理解し尽くせるものではない」というだけの事実を、何か思想としての「深さ」みたいなものの証拠だと無条件に言い立てるのは、単なるエピゴーネンのたわごとである。

[追記:20240-08-19] これだけの文章に、後から確認すると2箇所もタイポがあった。ドライアイの症状で、タイプしているときに画面が見え辛いという理由は分かっているけれど、これはこれで迂闊なことである。

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