Scribble at 2021-05-06 09:00:22 Last modified: 2021-05-06 13:26:56

利用する場所、時間帯、デバイスの所有権を問わず、業務目的または収益を得ることを目的とした活動となります。商用利用権がないライセンスについてはこういった目的にてご利用できませんのでご注意ください。

一般消費者向け Office および 一般消費者向け Office 関連製品の商用利用権について

個人としてマイクロソフトの Office Suite を購入したりサブスクリプションで契約するのは、とりあえず家計のキャッシュ・フローを考えると出費としては小さくないが(月額で1,300円)、そもそも僕のようにクレジット・カードを作らない人間からすると、PayPal が使えない時点で問題外だ。それゆえ、いまは家庭で Office 関連のファイルを扱うときは「互換性がある」ソフトウェアとしての LibreOffice を使っている。しかし、この LibreOffice は PowerPoint ファイルを読み込むとたいていレイアウトが崩れるし、Excel ファイルを読み込むと開き終わるまでに平均して3分くらいかかる(ファイル・サイズに関係ない)。よって、仕事で使うには慎重にならざるをえない。

Office には、ブラウザでアクセスできる office.com で利用できるオンライン版がある。しかし、これは上記のページではっきりと書かれているように、あらゆる業務利用は禁止されていて、会社で使うファイルを office.com にアップロードして開くだけでもライセンス違反となる。よって、これは自宅でも仕事には使えない。仕事なら、ちゃんと Office 365 のライセンスを契約して正規のオンライン・アプリケーションを使わなくてはいけない。これは、まぁあたりまえの話だ。しかし、僕はクレジット・カードを持っていないので契約のしようがないので、互換性を謳う LibreOffice などを使っているのである。

ただ、何度も書くが MS Office 互換を謳っているオフィス・スイートの類は、どれも僕には及第点とは言い難いものだ。そして、及第点に達しているかどうかを、いちいちインストールして定期的に確認する義務が僕にあるとは思えない。よって、もう5年以上は前に使った経験から言っているだけだが、他の OpenOffice なども含めて「及第点に達していない」と言っても、そういう条件で判断していることを併記しているのだから、不当な批判だと言われる筋合いはない。公開した時点で駄目なら、それでもう終わりなのだ。

これは印刷物と同じで、ウェブ・ページやソフトウェアがどれほど後から更新したり修正できようと、最初に下された判定を気軽に覆せたり無かったことにできるというのは、20年前の広告屋が盛んに叫んでいたオンライン・メディアの「利点」らしいが、それは完全に錯覚である。コンテンツを読んだ人が再び同じページにアクセスして、後から訂正されていないかどうかを確認なんてするわけがないのと同じで、なんでエンドユーザが、及第点に達するまで出来損ないのソフトウェアを何度もインストールしなおさないといけないのか。われわれは natural born tester / estimator / auditor ではない。消費者には、その場で使ったものを、その場で使い物にならなかったと感じるだけで、二度と使わないと決める権利があるのだ。

よって、何年か前に戸田山氏が書いた『哲学入門』(ちくま新書、2014)の寸評でも書いたように、哲学の或る本を読んで「そのときの自分にとって哲学は役に立たなかった」と判断することはできるし、それに誰も不平を述べることなどできない。僕が愚かと言っているのは、自分たちで「理系」などと言っているくせに個人的な経験をすぐに「哲学は(およそ)役に立たない」などと小学生でもしないような帰納法をやらかす、理数系の教員をやっている無能な連中だ。しかし、逆に或る機会に役に立たなかったという事実は残る(哲学者というのは是々非々で物事を判断するので、バカな大学教員が書いた感想でも人並みの価値は認めてやってもいい)。それゆえ、書いた方はともかく、読む方にしてみれば金銭としても時間としてもリスクがあるため(念のためだが、「リスク」とは結果の是非とは関係なく予測不能なインパクトがあることを指している)、可能な限りリスクを低減し、前もって読むべきかどうかを読者に判断してもらえることが望ましい。書籍の書誌情報なり一部のコンテンツを公開することには、そういう意義がある。或る本が「役に立つ」かどうかは当人の責任が大きいとは言え、前もって判断したり推測しかねる条件でいきなり本を買って読まなくてはいけないというのでは、誰にとってもリスクが大きすぎて、逆に購買行動を萎縮することにしかならない。あるいは、日本流の稚拙な「マーケティング」とやらで宣伝さえすれば売れるという思い込みや、消費者をだまくらかす愚劣な「営業手法」などによって売れたらそれでよいというのでは、いつまで経っても書物で何事かを啓発することなどできないし、たまたま自分で適切なものを選んで読む人たちだけが知見を得てゆくという結果論でしか knowledge management を語れない状況が今後も続くであろう。

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