Scribble at 2021-05-05 11:21:18 Last modified: 2021-05-06 13:31:46

Na zijn dood schreef de wereldpers in ronkende bewoordingen: 'Een veelzijdig muzikant met een wonderbaarlijke techniek'. Jazztrompettist Benny Bailey was wereldberoemd, maar woonde jarenlang anoniem in de Amsterdamse Spaarn-dammerbuurt. Vorige maand werd hij dood in zijn huiskamer gevonden.

Benny was een heavy cat

この連休中は、どういう経緯だったかは忘れてしまったが、ジャズの勉強をしたり、何人かのミュージシャンについて調べていた。特に、これも数日前のことなのにきっかけは覚えていないのだけれど、アメリカはオハイオ州のクリーヴランドで生まれてからヨーロッパで長らく活動していたトランペット奏者のベニー・ベイリー(Ernest Harold "Benny" Bailey, 13 August 1925 – 14 April 2005)について、Google, Bing, DDG の三つで調べられる(まともな)ウェブ・ページは一通り眺めてみた。既に2005年に亡くなっていたので、訃報を調べると彼の活動内容などが書かれているだろうと思っていたのだけれど、なかなか参考になるページがない。恐らく、亡くなったときの様子について最も詳しいのは上記のページだろう。このページはネーデルラント(昨年から「オランダ(Holland)」という名称を使わないでくれと通達されているらしい)の Draai om je oren というジャズ専門メディアだ。 "Draai om je oren"(耳を捻り上げる)というおかしな名称だが、ネーデルラントの御伽噺にも出てくる慣用句らしいから、恐らく単純に耳を捻るという意味だけではなく、音楽サイトの名称として使われているくらいだから、現地では特定のニュアンスがある言い方なのだろう。Google のブログ・ホスティングに間借りしているアマチュアのブログみたいに見えるが、正式な編集チームがあって記事には筆者や写真担当者のプロフィールも掲載されており、アジアの辺境地帯で「メディア」と名乗っている愚劣な素人どもなど遥かに及ばない品質や体制で運営されているようだ。

さて上記のページは、もちろん僕が殆ど読めないネーデルラント語で書かれているため、機械翻訳のサービスを利用して眺めただけだ。それでも、おおよその内容から判断すれば、ベニー・ベイリーが亡くなった際の話だとか、アムステルダムに住んでいた頃の暮らしぶりなどが分かる、殆ど唯一のソースだと言ってよいだろう。早くからヨーロッパへ移住してしまったせいで、英語のウェブサイトには詳しいことが書かれていない(だが数は多い。その大半は彼のアルバムという商品情報を掲載しているだけだが)。上記の記事でも、麻薬にのめり込む人が多かった当時のアメリカを嫌ってヨーロッパへ移り住んでいたというベイリーのスタンスについて書かれている。恐らく、かつてはアメリカで一緒に演奏したディジー・ギリスピーのような人とも相通ずる生真面目さゆえだろうか。ともかく、移住したネーデルラントでも匿名でアパートに住んでいたらしいし、家族はアメリカに残してきて、色々な楽団に入ったり自らの楽団を編成したりと数多くの演奏をやっていて、ヨーロッパ圏内のどこかで演奏するのに最もどこへも航空券が安い場所を選んだというのだから、非常に俗な言い方だが「職人気質」という言い方をしてもいいのだろう。

そういうことがあって、なぜか一人のトランペット奏者について調べていたのだが、当然ながら僕はジャズについてはぜんぜん知らないし、それどころか音楽の理屈そのものについても大して素養がなく、楽器すら殆ど演奏できない。なので聴くだけの人として分かる範囲のことを知っておきたいのだが、もちろんミュージシャンのプライベートについて詮索すること自体が目的で調べているわけではない。彼には三人の娘と一人の息子がいたらしく、ベニー・ベイリーはそれらの家族と一緒に過ごすためにアメリカへ戻ろうかと思っていた矢先に亡くなったとのことだが、彼の家族(そして家族との人間関係)について知っておく必要があるかどうかは分からない。家族と離れて暮らしていたことで音楽性に影響が生じるかどうかは、それこそ編集済みの完成品である曲から推測することは困難であり、せいぜい生の演奏などを何度も聴いて演奏の様子を目にする経験があって分かるかどうかといったところだろう。商品としての曲を聴くだけでどうこう評するのは、それこそ聴く側のセンチメンタリズムをミュージシャンの考え方や生き方へ押し付けているだけであって、音楽の聴き方としても不健全だと思う。

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