Scribble at 2021-10-16 17:10:53 Last modified: 2021-10-16 17:19:07

蔵書を整理しつつ、やはり以下の本も読まずに古本屋へ処分することとした。

・石井淳蔵『ブランド ― 価値の創造』(岩波書店、1999)

2002年の時点で13刷にもなっていて、よく売れたのだろう。別に世紀をまたぐ時期にブランディングが流行した記憶もないので、恐らくは多くの大学で副読本として採用されたのではないか。そういう意味ではブランドやブランディング、あるいはブランド・エクィティ・マネジメントの良い入門書なのだろうとは思う。でも、僕は石井氏が本書の「あとがき」で言及している超大企業のサイト制作に関わってきた経験があって言うのだが、やはり多くの平凡な人々が最優先するのは品質と値段だけだ。それがどこの商品であるかは、品質を吟味する手段をもたない多くの消費者にとっては、検査や監査を省くための言い訳でしかなく、特定の商品はともかく、特定企業の「ファン」なんて、潜在的な割合として考えてすら、たかだか消費者の1%もいないと思う。

石井氏は、市場で競争する主体が商品からブランドへ移行しつつあると述べているが、これは喩え話としても間違っている。一時期は、差別化戦略の応酬が繰り返されるだけで、各社ともに過剰な部分最適化を繰り返し、消費者が自分で全く吟味も検証もできない特性や品質での競争が続けられてきた。よって、確かに石井氏が言うように消費者が自ら商品の品質を確かめられないという事情で、ブランドに頼るしかないという状況があったのだろう。しかし、そういう一時的な問題はオンラインで多くの情報が簡単に手に入るようになると、大学院レベルの知識をもつ消費者や、海外も含めた多くの消費者団体による実験や検査の結果が即座に共有されるようになって、どこの会社の商品だからなどという安易な理由で物を買う人は、石井氏が予想するほどの割合にはなっていない筈である。そういう実体や根拠や担保の分からないブランドなんてものに頼る選び方が出来たのは、しょせんバブル時代の人々や金持ちだけだったのだ。

結局、ブランディングも消費者から見れば逃げも隠れもできない広告、つまりはまやかしの一つにすぎない。パンフレットやコマーシャルで〈本当のこと〉を企業が公表するわけがないというのが、数多くの公害を経験したり、大本営発表に騙されてきた国民のリテラシーというものだろう。そして、この手のマーケティングを教えている人々は何を勘違いしているのかは分からないが、消費者の大半は、彼ら彼女ら自身も企業で消費者に(多かれ少なかれ)嘘を付いている方の人間なのだ。いまや軍用品ですら馬鹿げた品質のスマートフォンやレーダーを納入している業者があるというのに、民生品にそもそも満足のゆく品質なんて達成できるわけがないだろう。我々、消費者というものは、そういう商品を起案したり開発したり売っている側の人間でもあるのだ。

ということで、広告とかマーケティングとか営業の手法なり理屈については、それなりの体系的な知見があることは分かるし、それはそれで学ぶに値するものだと思うが、もう哲学者としての僕が残りの人生の一部を使って学ぶ必要がある類の知見とは思えない。しかるに、以下の本も同じく古本屋へそのまま送ることにした。

・田中洋『企業を高めるブランド戦略』(講談社、2002)

・松下芳生、他『マーケティングの戦略ハンドブック』(PHP研究所、2001)

・野口智雄『マーケティングの先端知識』(日本経済新聞社、2002)

・岸孝博『マーケティング カフェ』(PHP研究所、2003)

・グローバルタスクフォース『ヒューマンリソース』(総合法令、2002)

・グローバルタスクフォース『クリティカルシンキング』(総合法令、2002)

最後の二冊は違う分野の本であるが、見開きで1項目ずつ「知る」ていどの些末な知識は、もう僕らのような役職者には不要だ。新卒が口先で適当なことを喋るネタとして使うくらいのもので、仕事の役に立つとは思えない。

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