Scribble at 2021-05-18 13:18:10 Last modified: 2021-05-18 13:25:30

The only consistent structure is time. Notes go forward in time.

Paper notes

上記のような理解のゆえにノートには限界があるという意見は正しい。しかし、それゆえに僕は紙のノートを運用するにあたって避けられない制約を前提にしたルールを作っている。もちろん、その制約は紙のノートが〈紙を束ねた物体〉であるという当たり前の事実だ。これにより、書き込むスペースには限度がある。例えば『テアイテトス』(プラトン)の読書ノートをつけているとしよう。読み進めるあいだに思いついたことや「これは」と思った箇所をノートへ写してゆくと、それはどうしても読み進めた順番に書いてゆく他になく、何らかのルールでも作っておかない限りは、後から途中の箇所について記述を差し挟むわけにはいかなくなるだろう。

よって、それをやりたい人は付箋を貼って補ったり、ノートよりも判型が小さいメモ用紙を挟んだりするのだが、これを繰り返しているとノートが歪な形状になってしまったり、貼り付けたメモの糊が弱くて脱落する心配もある。セロテープなんて20年もすればボロボロに劣化してしまうし、紙に対応する糊も安物はすぐに空気中の水分で分解され強度が下がる。

頁を前後に入れ替えられないという紙のノートの制約を乗り越えるには、もちろんルーズ・リーフを使うか、カードを使うという対策がある。そして、もちろん僕もルーズ・リーフを使うことがあるし、カードも使っていたことがある。当サイトで紹介したことがあるとおり、大学院生の頃は父親が印刷会社に勤めていたので、専用の読書カードを印刷してもらっていた。しかしカードは、逆に〈バラバラになっている〉という特徴がそのまま欠点になってしまう。カードどうしの相互関係をどこかに書き留めない限り、その場で神経衰弱のようにあれこれと並べてみても、未熟な会社員がよくやるブレイン・ストーミングと同じで、場当たり的なことを繰り返すだけの、およそ学術とは言えないデタラメで気軽な遊びを続ける羽目になる。そういうカードどうしの結びつきを記録する代わりに文章としてまとめるような行為が、そのまま論文を書くことに該当する場合もあろう。しかし、それは果たして「学術研究」と言えるのかどうかは、僕にはいささか疑わしい(それゆえ、こういうカードを過剰に書き溜めていた人々、もちろんニクラス・ルーマンも含めて、そうした〈神経衰弱〉や〈タロット占い〉のようなものの結果を学術の成果と呼ぶべきかどうかは再考の余地があると思う)。

ルーズ・リーフについては、入れ替えできるという特徴を僕も活用している。後からでも追加した内容を差し挟めるので、安心して読書ノートや体系的な記述のノートを作っておけるからだ。たとえば、いま僕が使っているルーズ・リーフは3年分の高校数学について、最初は或る参考書をベースにノートを取った。そして、「二周目」として別の参考書を使ってノートを補強し、追加したい解説とか演習の事例は、既存の頁どうしのあいだへ挟んでいった。いま、「三周目」として別の参考書を使っていて、これを読みながら既存のノートへ補強する必要があると感じたときは、新しく書いたノートを差し挟める。これは非常に便利だ。よって、体系的な内容を記述したり解説していて、後から同じような項目について記述を増やしたり、別の観点からの説明を並列させたりして、〈育ててゆくノート〉を作りたいなら、ルーズ・リーフは最適だろうと思う。

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