Scribble at 2024-10-08 22:07:11 Last modified: unmodified

アメリカという国の理解が難しい理由の一つに、寧ろ歴史が浅いという点がある。歴史が浅いにもかかわらず、恐らく最も激しい変化を辿ってきた国がアメリカだと言ってもいいだろう。したがって、東アジアの田舎国家で切実に考えてもいない連中が「加速主義」についてお喋りを始めるよりも遥かに昔から、アメリカでは色々な点での加速があった。

その一つの例として、僕は「ルート66」と呼ばれた道路と周辺の習俗、それからルート66に関連して作られた映画や小説なども含めたトピックを取り上げたい。ご存知の方も多いと思うのだが、ルート66は1920年代に開通した道路であり、或る範囲のアメリカ人に強いノスタルジーを感じさせたり、アメリカという国を語る上では無視できない巨大なランドマークのようなものと見做されている。しかしながら、映画や小説の舞台として多くの人々の記憶に残っているのは1950年代あたりの光景であって、そして実は1980年代には廃止されてしまい、すぐ近くを通る新しいルートに文字通り道を譲っている。よって、ノスタルジーを感じさせる古いルートを初めから終わりまで辿ることはできず、途中で通行止めになっている箇所もあるのだ。そしていま現在というわけであるから、既にルート66が実質的に消えてしまってからでも今年でちょうど40年が経過している。そんな事実があるわけで、結局のところアメリカ人の多くがこれだけ強い印象を抱いているランドマークですら、その沿道が多くの若者達の車で賑わったのは、せいぜい20年から30年といったところだろう。

もちろん、これを単にアメリカの歴史が浅いからだと言っては説明になっていないのだろう。なぜなら、日本とアメリカとで国家としての歴史の長さに違いはあっても、そこで暮らしている個々人にとっては、自分が生きているあいだに起きる出来事の長さだけを取り出せば、明らかに意味のある違いなどないからだ。なるほど、日本の場合は何かが起きるとしても、それまでの長い経緯があったうえでのことだろうから、短い歴史しかない国で唐突に起きる出来事とでは何らかの違いがあるかもしれない。しかし、それを大多数の庶民つまりは凡人が鋭敏に感じ取れるとは思えないわけである。

寧ろ、「歴史の長さ」だの「厚みのある伝統」だのという妄想に近いとすら言える観念に引きずり回されている人々こそ、自分たちの生活において起きる出来事を短期間で集中して捉えたり対応するという力に欠けており、その典型が「平和ボケ」だとか「ものづくり精神」などと呼ばれるヌルい態度なのではあるまいか。したがって、僕はそのようなものを日本の伝統だなどと喚いている「インチキ保守」どもの主張には全く賛同すべき点を感じない。もちろん、構成作家風情の政党なんてものは勝手に「保守」を名乗っているにすぎない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る