Scribble at 2020-12-05 18:53:18 Last modified: 2020-12-05 19:20:15

"Go to Travel" なんて奇妙な英語を、大半が東大を出ていてアメリカの行政官とも英語で交渉してる筈の人々が、どうして考え付いてしまうのだろう。それとも、官僚がもともとつけている名称はまともなのに、政治家が思い込みで、この方が(俺には)分かりやすいとか、この方が地元の田吾作には分かりやすかろうと、勝手に書き換えてしまうのだろうか。

日頃から英語を使っている人たちなら、この表現の違和感は幾つか指摘できると思うが、まず国民に向かって "Go to" などと命令形の名称で政策を立ち上げること自体が傲慢だ。はっきり言えば、観光業者が倒産しようとキャバクラや吉野家がなくなろうと、そんなことは国民それぞれに責任を問われるようなことではない。航空事業者の多くが立ち行かなくなっても、飛行機を使ってできる事業というものは輸送など他にたくさんある。輸送だけの事業では会社を存続できないというのであれば、もともと航空業界というものは事業体としてペイしない収益構造しかつくれない産業だったということだ。であれば、人類は航空機で移動しないという前提で文明を発展しなくてはいけないし、それで何の不満があるのか。産業とか仕事というものは、時代や環境が変われば通用しなくなったり陳腐化して消える場合もある。それは既にここでも書いたとおりだ。変化できないものは、市場から去る他にない。

次に "travel" という動詞には「(遠くへ)旅する」という意味合いが既にあるのだから(語源も "to make a journey" となっている)、"go to travel" などという表現は「旅することをしろ」と言っているように見える。ちょうど、NHK とかで「旅というものをするということというかたち」などと誇張して表現できる奇妙に遠回しの日本語と印象が近い。というか、この "to travel" を英語話者は不定詞だと理解するのかという疑問もある。"Go to Travel" とだけ聞けば「トラベル」というところへ行けと言われている(つまり "Travel" というホテルか何かの名称)ようにも思えるだろう。

そして、「(遠くへ)」と書いたとおり、"travelling" は "trip" などに比べて遠方への旅という意味があるのだから、列車で東京から長野へ行くていどのことで「トラベル」とは大袈裟に思える。

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