Scribble at 2022-07-08 18:31:44 Last modified: 2022-07-09 21:58:35

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きょう午前11時半ごろ、奈良市で演説をしていた安倍元総理大臣が男に銃で撃たれ、心肺停止の状態で病院に搬送され、治療を受けていましたが、亡くなりました。一方、現場で取り押さえられて逮捕された41歳の容疑者は「安倍元総理大臣に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という趣旨の供述をしている一方で、「元総理の政治信条への恨みではない」とも供述しているということです。

安倍晋三元首相が死亡 演説中に銃で撃たれる 【速報】

オンラインの記事ではおかしなことかもしれないが、思想信条や政策についてのあれこれ異論はあるにせよ、ひとまず黙祷をささげたいと思う。

この件について色々な政治家や評論家が「言論封殺に抗議する」みたいなことを言ってるわけだけど、これは明らかにミスリードだ。容疑者は「特定の団体」と安倍氏がかかわりを持っていると思い込んで犯行に至ったというのだから、別に選挙の応援演説を「封殺」したかったわけではなく、単に自分が襲いやすい場所に来訪するのを待っていたということだろう。

そして、何が目的であったにせよ、政治家の立法なり政策判断なり行政のコントロールなり司法のトップである最高裁判事の任命など、文字通り国の根幹にかかわるところで下した決定や言動は国民の人生に大きな影響をもたらす。そして、たとえ錯覚や思い込みが原因であろうと、その言動の報いを受けさせたり防ごうとする人がいれば、政治家にもまた一定の脅威やペナルティがあるという話でしかない。こういう、いわば歴史の現実を政治家は改めてわきまえるべきであろう。自分たちは何事かを国会でお喋りしたり料亭で駆け引きの真似ごとをしてるだけかもしれないが、そこで決めたことが誰かの生活を破綻させたり、医療が受けられなくなったり、就職に困ったり、あるいは行きたい学校へ行けないといった、われわれ国民の生殺与奪の権限を握っているのだ。自分たちだけ安全なところにいて、国民は制度的に常に緊張を強いられているなんて国が永続した試しはなく、歴史においては必ず政治家にも一定の緊張感を要求するような〈反応〉が頻繁に起きるものである。一つ一つの出来事は悲しいことだが、歴史を学んだ一人として言えば、今回の出来事はそういう反応の一例にすぎないと思う。

もちろん、これからこんなことが増えてもらっては困る。しかし、人は思い込みや逆恨みや錯覚など、正当な理由とは限らない動機で他人に敵意を向けることがありうる。政治家は常にそういう敵意を向けられるようなことをせざるをえないため、常に緊張感をもって職務に取り組むべきはずが、これまで政治家に緊張感を求めるような牽制が弱すぎただけなのだ。もちろん、愚かな政策を選んだリスクとしてただちに政治家の命が脅かされるというのは望ましくない。こう言っては悪いが、日本はアフリカや中南米のどこかの国と変わらないような状況にまで落ち込んでいるわけではないし、そうなっては困る。しかし、政治家は常に自分たちの決断が国民の生活だけでなく生死にも影響する(そしてそれを防ごうとすれば、誰かが一定の反動を起こす恐れがある)というくらいの切実さを理解して行動するべきであろう。

しかし、それにしても SP や警察の杜撰な警備は世界中の笑いものである。海外の SP なら、そもそも銃や刃物など武器で狙える位置に来た時点で最低でも警告を発するし、要人を保護するだろう。さきほど土曜日の夜に放映されていたニューズ・バラエティに出ていた元警視庁とかの人物は、爆発音がしたら拳銃によるものか判断してから行動するなどと甘いことを言っていたが、原因など関係なく異常な音がすれば要人を保護するのが当たり前である。こういうことは軍事行動と同じであって、テロリストか人質なのかを判断してから撃つような状況とは違って、いちいち判断などしてはいけない状況だ。また、あの距離に近づくどころか1発目の銃声を聞いて即座に発砲できない警察というのも困ったものだ。そして、日本の治安の良さとはしょせん大多数の国民が小心者であるというだけの話だったのだと思われたら、あの程度の警察力でも治安が保たれると侮られるわけであって、それこそ今後も色々な場面での交渉事で、一事が万事、日本の官僚や企業や学生や警察は、表面的には慎重に見えたり熟考しているように見えても、実は単なる小心者でしかないのだとカモにされるだろう。(また、土曜日に観ていた番組では、政治や思想を理由にしたテロリストの行動として、「安倍!」などと叫んで挑んでくる状況を想定して SP が訓練しているなどと、漫画のようなことを喋っていた。鎌倉時代の一騎打ちでもあるまいし、テロリストがいちいち「やぁやぁ、我こそは!」などと高らかに声をあげてから挑んでくるとでも思っているのか。とんでもない腑抜けの訓練をやっているものだ。)

あと、

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyanobuo/20220709-00304764

この記事のように、ここぞとばかりに噴き上がって極端な社会防衛論の人々が監視国家の政策を続々と提案するのだけれど、犯罪学や犯罪社会学の学者が監視国家を待望するのは、殆ど犬が骨を追いかけるようなものだ。まともな見識をもつ大人は、こういう議論は敬して遠ざける方がよいだろう。また、本来なら犯罪者の心理なりリスクについて政策や行政の課題を指摘するべきものを、二言目には IT だ DX だと知りもしない素人の分際で他の政策や分野に責任転嫁するのも見苦しい。

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