Scribble at 2023-10-24 21:39:16 Last modified: unmodified

ものごとの手段とか道具というものは、実のところそれほど豊富でも充実しているわけでもないという場合が多いと思う。たとえば大型書店で辞書を眺めていても、学習用としては十分と言える語彙数や見出しの数が揃っている手頃な値段の英英辞典と言っても、Oxford, Longman, Collins, Merriam Webster くらいだろう。たまに Macmillan や Penguin などのマイナーな辞書を置いている書店もあるが、だいたいは最初に列挙した四つがあれば良い方で、少ないところは Oxford だけとか、もちろん英英辞典を置いていない書店の方が圧倒的に多い。

したがって、何かの本で「英英辞典を使うようお勧めします」などと書かれていても、アマゾンなんて無かった頃は英英辞典を置いていそうな都心の大型店へ足を運ぶしか無かったし、そこに置いてあるものから選ぶ他になかったのである。いまは実家に置いてあって使っていないが、かつては Cambridge の英英辞典も所有していたのだが、あれは確か京都の丸善で偶然に見つけて買ったものだった。大阪の心斎橋にあった丸善には置いてなかったわけである。その心斎橋の丸善も閉店して、いまでは梅田茶屋町でジュンク堂と合併しているが、洋書の売り場面積は訪れるたびに着々と縮小している。そら茶屋町あたりを徘徊しているガキが洋書なんて読むわけ無いし、サテライト教室がある関大などの大学生でも、もう自ら洋書を読む人は減っていると聞く。韓国や中国とはまったく逆で、日本の若者はどんどん反国際化していっているらしい。そら若造にネトウヨも増えるし、水脈だか風水だかいうヘイト・スピーチが大好きな自民党の陣笠オバサンにも票が集まるわけだよ。まぁ、僕のような保守の人間から言って、あんなクズ右翼なんてどうだっていいわけだが。

ともあれ、僕らは数少ない選択肢の中から道具とか手段を選ばざるを得ない。僕は、Oxford と Collins と Merriam-Webster と Longman と Macmillan の英英辞典を所持しているけれど、これで十分かと言えばそんなわけがない。とりわけ方言や若者言葉や隠喩などのニュアンスは、なかなか辞書だけでは分からないことが多いし、ましてや文化的な背景がないと分からないコマーシャルとか政治家のフレーズなんかは、たぶん辞書には決して掲載されないだろうと思うから、いくら最新の改訂版を待とうと無駄である。でも、そういう限られた状況にコミットして最大の成果を得ようと努力するだけでも、実際には素晴らしい仕事ができるものだ。仮に、あなたが Collins COBUILD の中型辞書しか持っていなかったとしても、それを使い込めば英語の勉強としてそれなりに進んだところまで行ける筈だ。だいたい中型の辞書だと10万語ていどの語彙を収録しているので、それを丁寧に習得していけば、半分の5万くらいでもアメリカの大学生ていどの語彙にはなる。要するに、僕がいつも強調していることだが、やるかやらないかが最大のポイントであって、凡人が凡庸なままであるのは、簡単な話だが、やるべきことを、やるべきである筈なのに、やらないからなのだ

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