Scribble at 2022-03-31 12:11:03 Last modified: 2022-03-31 13:29:45

ルシア・ベルリンについて、Twitter や note とかでいっちょかみして承認欲求を満たしたいだけの連中かアフィリエイターのページしかないと書いたが、似たような事情はあらゆる文学者についても言える。そもそも大学の文学研究科でまともなレベルで勉強したり研究している人間なんて(哲学科でも同じ)、入った学生の 1 % もいたら上出来だろう。大学の専門課程ですらそんなものである。片手間や暇潰しに文学作品や作家の記事やページを書くにしても、その大半がアフィカスや、いわゆる小並感の作文を「執筆」する人々であることなど最初から分かっている。また、学部時代に僕が David Hume と同時代(18世紀)に書かれた批評を数々の古書で探したときにも、その大半が素人の哲学ファンや宗教家による浅薄で偏狭で愚にもつかない文章だったことを強く覚えている。いわんや東アジアの文化僻地に住む凡人の「感想文」など推して知るべしであろう。

同じことは、さきほども調べていて同じ印象を受けたのだが、ブッツァーティについても言える。検索結果は "About 68,600 results" で、その大半がオンライン書店の商品ページか、読む気もないどころかおそらく読んでいない連中がどうとでも書けるような感想や、140文字に収まるていどの軽薄なメモをブログに書きつけたていどの「リソース」である。

もちろん、ブッツァーティを読む人が少ないとか、読んで何ほどか納得したり感動したり有益なものを得た人が少ないとか、それを的確に他人へ伝えられる人がいないとか、そんなことは思っていない。でも、そういう人々に限って(もちろん、これは哲学についても言える)オンラインでいちいち文章など公表したりしない可能性もある。得てしてオンラインで山のように愚劣な文章を書くような、暇で、無能な人間ほどプレゼンスなりパブリシティを獲得していたりするものだ。これは知恵袋や StackOverflow といった CGM サービスのサイトなどでは、いまや明白とすら言える。よくオンラインのコンテンツに宣伝や詐欺などノイズが増えやすい現象を指して「悪貨は良貨を駆逐する」などというが、僕はこれはかなり的外れな分析だと思っている。つまり、学術的な成果であろうと個人が書く文章であろうと、それを制作したり公開・頒布する手段がオンラインなり電子的なデータだけに限られるわけでもない以上、そもそもオンラインに「良貨」なんてもとから存在しない可能性だってある。全くないとまでは言えないが、僕らがウェブ・ページや電子書籍だけでなく図書館や古本屋などでも書物を検索したり借りて読んだりするのは、当然と言えば当然の理由があるのだ。

そもそも、冷静に考えたらわかることだが、ルシア・ベルリンだろうとディーノ・ブッツァーティだろうと鹿持雅澄だろうと梅崎春生だろうと、論じるべき彼女らの文章はすべて書籍でしか手に入らないではないか。著作権うんぬんの話もあろうが、オンラインには彼女らの文章なんて存在しない。つまり、オンラインのコンテンツというものは、それを書いている人間が馬鹿だろうとアフィリエイターだろうと、それだけでは自足・完結しない欠陥リソースの集合にすぎないのである。すると、これから何百年か経過して、あらゆる文献や文章がデジタル化されオンラインで閲覧できるようになれば、一次文献だろうと二次文献だろうと自足的にオンライン・コンテンツとして共有されるようになるのだろうか。僕は、バーナーズ=リーをはじめとする WWW の考案者がどういう理想をもっているのかは分からないが、それを敢えて「デジタル・センチメンタリズム」だと呼ばせてもらいたい。媒体やフォーマットが一元化されたりデータとして流通なり共有するコストやスピードが向上しても、それだけで知識や学問や人類の英知にかかわる基本的かつ本質的な課題が解決できるというのは、はっきり言って錯覚だと思う。それは、MOOC が普及するだけで貧乏人や colored の人々が一定の学位やスキルを要求する企業に就職して established な地位につけるという御伽噺と同じである。

それから、僕がただのデジタル化で学術や知識が自足するという発想を「センチメンタリズム」だと揶揄する理由はほかにもある。つまり、紙媒体だろうとデジタル・データだろうと、〈文書〉だけが人の知恵のプラットフォームや媒体だという思い込みこそ(学術研究者も陥りがちだが)、社会科学的な観点で言って学術研究の成果が有効に活用できない、されない理由の一つだと思える。そして、そういう媒体だけをうまく扱う物書きや「独立研究者」を名乗る文化芸人どもの自意識プレイやマーケティングによって、あたかも情報の媒体、なかんずく truth-bearer が文芸春秋や BJPS や Yahoo! 知恵袋や Twitter, Facebook, Instagram の投稿だけであるかのような錯覚や視野狭窄が生じる。

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