Scribble at 2022-08-19 14:09:29 Last modified: unmodified

もちろん殆どの失敗は本人にとっても致命的でないなら、そのリカバリーとかやり直しができるし代償も当てられる。偏差値50以下の大学に入学しても、国立大学の博士課程に進めるのは僕が実例だし(いちおう常識的には「リカバリー」の範疇に入るはずだ)、10年以上もプログラミングから遠ざかってワープロばかり使っていてもネット・ベンチャーの distinguished developer として15年以上も働けるのだって僕が実例だ。そして、これは僕が天才だからではなく(とはいえ凡人でもないが)、大概のことはリカバリーが利くからなのである。何かに失敗しても、それを失敗や不足と即座に認めたり、あるいはそれを失敗ではなく何かのチャンスだと認めて迅速に対応することが、寧ろイージーに目的を果たして昼寝している事実上の〈ウサギ〉を追い越す秘訣でもあろう。

哲学のような営為(学術研究)でも同じであって、ソルボンヌやハーヴァードに進学したというだけでは何の業績も残せないし、自分自身にとっての哲学をすすめることもできない(もちろん大学で哲学を学ぶ理由の筆頭は自分自身の課題に取り組むためであって、大学教授になるとか、Twitter でブ男のくせにアイコンをぶら下げたりド田舎の高速道路について社会運動するためでもない。そんな些末なことしか目的がないなら、それこそ大学に進学したこと自体が当人の無能ゆえに自覚できなかった一つの「失敗」であろう)。もちろん、多くの場合にどこか特定の大学に入れなかったというだけでは失敗には当たらないわけだが(目当ての教官がいるなら、異なる大学で聴講生としてゼミに加わる制度があるし、プライベートに教えを乞うことだってできる)、予定と違う結果になれば即座に何らかの対応をすべく検討して行動するべきであろう。

寧ろ、何かが本当に失敗になってしまうのは、そういう予定とは違った結果(リスク)をそのまま放置してしまうことによって、〈失敗に変質しまう〉と言うべき状況も多いはずである。これは、もちろんビジネスでも同じことが言える。いまさら PDCA なんて言う必要すらないほどだが、正確に状況を把握して(良いか悪いかは正確に分からないまでも)次の行動へ移るという迅速さに欠けた社員というのは、派遣社員だろうと平社員だろうと部長だろうと取締役だろうと、口ではどれほど威勢のいいことを言っていようと、僕には engagement に欠けた人間という気がする。

しかし他方で、取り返しのつかないことというのも、実際にはある。たとえば殺人がそうだし、逆に自分自身が死んでしまうようなことをすれば、それが失敗かどうかなんて問うこと自体がナンセンスであろう(その評価や答えを墓の中で聞いたところで無意味でしかない)。また、そこまで極端な事例でないとしても、リカバリーの利かない結果というものはありうる。そして、それを何らかの意味や観点でリカバリーできていると思い込んでいるのが当人だけという悲惨な状況もある。かつてサリンをバラまいたカルト宗教を賛美して加担していた過去をもちながら、なんとかダイバーなど山のような駄本を書きまくっている人物もいるし、加担どころか昨今の話題となっているカルト教団の信者だった学者すらいて、せっせとアーレントだの何のと色々な本を書いている。僕は、もちろん何らかの理論とか思想という裏付けはないにしても、個人としてはそういう経歴は取り返しがつかないと思っていて、最低でも履修する前の学生には経歴として開示する義務があると思う。中沢新一とか仲正昌樹は、ちゃんと開示してるのかね。

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