Scribble at 2022-02-26 09:35:55 Last modified: 2022-02-26 09:43:12
あくまでも実例の一つとして取り上げるだけなので、この人物をどうこう批評する意図はないのだが、僕はさきほどウィキペディアを眺めていて初めて知った。
ジュンク堂のような大型書店へ足を向けて、おそらくは日本の(そしてたぶん先進国の)平均的な社会人よりも多くの書籍を買ったり読んだり、あるいは書店で裏表紙だけでも色々なジャンルの本を眺めている筈なのだが、この人物の名前や作品について全く記憶も印象もない。ウィキペディアには数多くの代表作が列挙されているが、一作品たりとも記憶にないのだ。しかし、現実には日本芸術院会員であり文化功労者であり、紫綬褒章や旭日小綬章を受けているという。
まったくもって恥ずかしい話ではあるが、しかしこのようなことは幾らでもある。逆に、この方は科学哲学者のファン・フラッセンやピーター・アチンスタインを全くご存じないだろう。それから、デンマークやエチオピアの国民が河本孝之を誰も知らないのと同様、この高樹のぶ子という人物を誰も知らないと思う(恐らく現地の日本大使館員すら知らないんじゃないか)。
一国での名声なんて、しょせんはそんなものだ。いや、もっと国際的な規模での名声ですら刹那的なことでしかないとも言いうる。たとえば、最年少でノベール平和賞を受けたマララ・ユスフザイという人物を、いったい何人が覚えているのか。多くの日本人からすれば、外国の人名としても見慣れないため、「そういう人がいた」というていどの記憶は残るかもしれない。しかし、この人物が何をした(された)のかとか、どういうことで広く報道されたのかは忘れられるだろう。
それから個人の批評をする意図はないけれど、たぶん『日本文学史』といった教科書が今後もたくさん出版されるとは思うが、恐らく「高樹のぶ子」という名前を見つけることは難しいだろうと思う。芥川賞を受けているので、その手の年表が収録されたら名前が残る可能性はあるが、それ以外だと無理だ。なんだかんだ言っても、僕がどこの書店であろうと名前を見かけたことが一度もないのだから、少なくとも店頭で平積みされるほどの作品が一つもないということだろう。でも、だからといって作品とか人物についてどうこう批評する根拠にはならない。なぜなら、恐らく同じような理由で「足立巻一」という名前も残らないと思うからだ。ご本人も、たびたび著書の中でそういう主旨の感想を述べている。