Scribble at 2023-09-13 12:24:28 Last modified: 2023-09-14 14:17:37

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僕が中学生の頃から高校2年生くらいまで東大阪市の東花園に住んでいたという話を何度か書いているのだが、その当時は週末になると一家揃って外食するのが慣例だった。行っていたのは、国道170号線(いわゆる大阪外環状線)沿いにあった、「フレンドリー」の瓢箪山店だ。「あった」と書いたのは、さきほど Google Street View で確認すると、既に「香の川製麺」といううどん屋に替わっていたからだ。この周囲を Street View で見渡すと、長崎屋があった場所(その後、関西スーパーになっていたらしい)にはマンションが建っているし、瓢箪山へ向かう道を進むと坂の途中にあった書店もなくなっている。あと、学部時代を過ごした大阪経済法科大学への送迎バスの発着場も無くなっているようだ。

再び外環状線に戻って南下すると、高校時代に賞味期限を1ヶ月ほど過ぎているのを知らずに TKG を作って(もちろん)入院した若草第一病院は健在のようだ。御幸町の歩道橋には、現在はスギ薬局などがあるけれど、ここには僕が高校生の頃(40年前)にはローソンがあって、よく深夜に家を抜け出して夜食を買いに行ったものである。当時の自宅は東花園駅のそばを通る恩地川沿いのマンションで、御幸町の交差点までは東に 500m ほど自転車で行っていたのだが、いまも元の自宅付近にはコンビニエンス・ストアがないようなので、さほど生活環境は変わっていないようだ。それどころか、昔はうちもテナントとして薬店を営んでいた「大発ストア」というスーパーがあったのに、いまは町内にスーパーが全くないようなので、逆に買い物は不便になっているのではないか。長崎屋の跡に出来た万代、あるいは駅の反対側にある近商くらいか。確かに、うちも当時は長崎屋や近商でも買い物はしていたが、簡単な惣菜とかパンとかは、もちろん付き合いもあるのでテナントとして入っている同じスーパーの店から買っていた。なお、その大発ストアもとっくに無くなって宅地になってしまったし、大発ストアの前の通りを北に歩くと角に小さな文房具屋があって、当時から文具を色々と買っていて店主のおばさんと顔見知りだったのだけれど、その文房具屋もない。そして、その道を更に北へ行くと、僕は小学校の頃から大阪教育大の附属に通っていたので、地元の友だちというのが殆どいなかったのだが、数少ない自宅の近くにいる友人として S 田君というのが新池島町に住んでいた。彼の自宅は工場だったはずだが、それもない。

まだまだ当時の記憶は色々と(嫌なものも含めて)あるのだが、冒頭で紹介したフレンドリーのコーン・ポタージュの味はいまだに覚えている。たぶん、うちがいちばん裕福だった頃の記憶だからだろう。その次が、賞味期限切れの卵を食べて入院した病院での記憶だ。『文藝春秋』を読んでいたくらいで「おっ、難しい本を読んどるなぁ」とか医者に言われて閉口した話とか。

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