Scribble at 2022-03-25 09:19:55 Last modified: 2022-03-25 09:24:17
情報セキュリティに限らず、オンラインで見かける文書の類は大半が体系性もなければ exhaustive であろうとする意欲も感じられない、「書いてみました」系の落書きみたいなものばかりだ。特に自意識過剰な人々が2006年頃からブログのブームで落書きを公開すること自体に「社会的意義」とやらがあるかのようにオンライン事業者や IT ジャーナリストどもに騙されてからというもの、何の素養も経験もない人々が中学生の自由研究みたいな文章を乱雑に公表し、そして推敲も修正もアップデートもしないまま何年も放置されては、ホスティング・サービスで書いているならともかく、自分でレンタル・サーバで公開している場合はコメントを投稿する CMS の脆弱性を使った攻撃によってスパムやワームの温床となる始末であった。このところ、ブログのホスティング・サービスも低調となり、またレンタル・サーバを借りてまでブログを運営したいという身の程知らずも減ってきたらしく、そういう意味では「浄化」されてきた感はあるが、(或る意味では当サイトも含めての話だと自覚はしているものの)いつまでもしつこくコンテンツを放置しているサイトもある。
中でも、僕が業務で専任となっている情報セキュリティや個人情報保護といった話題については、特にまともな記事や情報が少ない。これには、大学で教えている学科が少なく、専攻している学生が少ないため、母数として海外に比べると貧弱だという事情があろう。また、日本では企業経営者や官僚や政治家だけでなく情報セキュリティのプロパーですら、いまだに「情報技術の秘匿が最善のセキュリティである」という平安時代の妄想を信じている人たちがいて、こういう人たちは「情報」と「情報技術」の区別すらできていないことが明白だ。こんな、素養というか寧ろ「民度」とすら言っていい状況の国家で、ウクライナどころか目の前に三つの仮想敵国があるエキサイティングな国に住んでいながら牧歌的な暮らしや思考をしているのだから、呆れたものである(もちろん、噴き上がり右翼や口先ネトウヨみたいに無用な敵愾心をあおるのもバカだと思う)。なんにせよ、日本は情報セキュリティに関連するオンラインのリソースが先進国としてはかなり貧弱であり、学生だろうとセキュリティ企業の自称ホワイト・ハッカーだろうとプロパーの大学教員だろうと「シェア」などと言って公に出しているのは猫の写真や萌えキャラのエロ漫画やコンサルなら自著の宣伝だけだったりする。すごく単純な例かもしれないが、冒頭で紹介したリンク先のようなことすら、日本の情報セキュリティや IT あるいはコンピュータ・サイエンスの学生とかプロパーは記事やウェブ・ページにできない。
しかし、社会科学の観点から考えてみると、或る意味では皮肉なことにそれが現実であり国情から見た自然な帰結であると言えなくもない。なぜなら、情報セキュリティにかかわる文章なり情報というものは、それについて関心をもつ時点で既に〈あちら側の人間〉、つまり情報セキュリティの記事を読む必要などないていどの関心も素養もある人である可能性があるからだ。つまり、情報セキュリティについては〈関心をもつ専任者、実務家、プロパー〉であるか、もしくは〈関心のない残りの大多数〉であるかの極端な区画ができてしまい、一方から他方への移行がどんな事情や経緯で起きるのか、本当のところよくわかっていないのではないか。情報セキュリティやプライバシーマークに関する記事とか本をでたらめに乱造したところで、ご覧のとおり国民全体のリテラシーなどネットが普及して30年近くが経過しても全く変わっていないし、親が無関心なら子供にも影響があり、そういう状況に大きな変化は起きにくい。
すると、どういう事情でか情報セキュリティに関心をもって、特に雑なブログ記事や IT 関連のメディアの記事なんて読む必要もなく技術者なりプロパーとなってゆく人々(それゆえ他人を啓発する必要も感じないというわけである)は、どうやって素養を身に着けるのか。当たり前だが、そういう人々は英語で読めるのだ。まったく身も蓋もないことだが、海外のオンライン・ゲームをプレイするために海外のサーバへ出入りして相手とやりとりしていて英語を使えるようになったとか、流行の暗号資産で使われている数学を楽しそうだと言って勉強したとか、どういう経緯で英語や数学を使うようになったかはどうでもよくて、ベースになる数学や英語をきちんと身に着けていれば、自分自身に情報セキュリティやパーソナル・データへの関心があるかどうかにかかわらず、既に多くの人々が公開している英語のドキュメントにも触れる機会が増えるし、そこで展開されているまともなレベルの議論では最低限の離散数学の知識が使われていてもすぐに理解できる。よって、そういう人々にとってはありふれた話題をありふれた素養で見聞きしているという〈生活感〉の一部として情報セキュリティに関連する議論とか観点が取り入れられていくわけである。
もちろん、これは本一冊とか大学一つで何とかなるようなことではない。