Scribble at 2021-09-13 14:06:49 Last modified: 2021-09-16 09:18:19

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戦略のパラドックス

本日は、『明日は誰のものか』と『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』に少しばかり目をとおしただけだから、通読に値する本が出てくるまで他にも物色した。最初に手にしたのがマイケル・クスマノという人物による『ソフトウェア企業の競争戦略』(サイコム・インターナショナル/訳、ダイヤモンド社、2004)で、これは僕が買った時点で第5刷というから、それなりに売れた本なのだろう。でも、もうソフトウェア企業だけに特化した経営なんて興味ない。TIS だろうと NEC だろうと IBM だろうと零細オープン系のベンダーだろうと、受託の開発に変わりはない。他の分野にも応用できる点はあろうと思うが、そういうことについては、本書を読まなくても誰かが書いている筈である。ソフトウェア企業(要するに受託のベンダーや IT ゼネコン)に特化した内容だからこそ本書をわざわざ読む意義があるのだから、そこに興味がないとなれば、手元に置く必要もなかろう。活用できる人に読んでもらえばいい。

そして次に装丁としては似ているので類書かと思ったのだが、実際に開くと〈当たり〉の印象があるため、いまのところ読み進めている。それが上記の『戦略のパラドックス』(櫻井祐子/訳、翔泳社、2008)だ。気の毒にアマゾンでは古本が300円ていどで投げ売りされているし、原著も古本でしか手に入らないようだが、内容は丁寧に書かれていて説得力がある。この1ヶ月以上を費やして50冊以上のビジネス書を読んできて、初めてまともな統計学(ただの統計調査の結果ではなく)の議論が展開されている。ただし、科学哲学の論説にも言えることだが、統計学や確率論の議論をしているからといって、数式やデータがたくさん出てくるわけではない。そして原理原則の議論が多いため、いわゆるビジネス書を読み慣れている人々にとっては浮世離れした内容に感じられることだろう。もっとも、そういう原理原則を無視しているからこそ、いつまでたってもビジネス書や経営書というものは(しょせんキリスト教的な信念を隠して議論しているくせに)同じ議論の繰り返しや表装替えばかりなのだ。

著者のマイクル・レイナー(Michael E. Raynor)は、デロイトの経営コンサルタント&ディレクターを勤めており、クレイトン・クリステンセンと一緒に『イノベーションの解』を著したこともある。アマゾンでは、気の毒にシナリオ・プランニングていどの小手先テクニックについて「専門的でない」などと暇人に侮蔑されているが、レイナーは国際的なスケールで現在も活躍している専門家の一人だ。それにしても、自分が読んだ本の著者のプロフィールくらい、真面目に読んでからレビューを書いたらどうなのか。素人というのは、〈自分が興味をもっている〉テーマについて詳しく書いてないというだけで他人を「素人」だと思い込むから、われわれのような学術研究の訓練を受けた者からは簡単に素人だと分かるのだ。

本書の冒頭には監修者による、異様に文字の小さな梗概が書かれているが、本書の内容を少しでも読めば、そんなものは却ってレイナーの緻密な議論をショートカットするだけの「今北産業」にすぎないと分かる。そんなものが有効なら、これだけの分量の著作は有害なだけだろう。論旨を追いながら考えることに意味があるのだから、こういう梗概を冒頭に置くのは野暮というだけでなく、本書を通読する価値を損なう〈反動的〉な文章だと思う。もう増刷もないだろうから改訂はすまいと思うが、仮に改訂するなら、かように自滅的なページは本書から削除するべきである。

それにしても、これだけの分量(約450ページ弱)の本を2,200円で販売していたのだから、やはり以前も書いたように10年たらずで書籍の値段はおおよそ倍になったと思っていいのだろう。これだけの本なら、いまでは4,000円以上で販売していてもおかしくない。こういう価格設定の変化についても、恐らくは既に経営学で色々な理解なり分析が提案されていることだろう。

[追記] さて、読み進めていると翻訳として気になるところが見つかる。本書はオンラインで原著の PDF が見つからないため(もちろん、それは海賊版がアップロードされていないという意味なので、「いけないこと」ではない。単に原著でどう書いてあるかが分からないという不都合にすぎない)、原文ではどう書いてあるのか分からないから、誤訳なのかどうかを即座に断定はできない。しかし、たとえば71ページに出てくる「不確実性のマネジメントのための、意味のあるメカニズムが存在しないからだ」という一節は、「意味のあるメカニズム」という表現が日本語として無条件に何か特定の意味があるようには理解できない言い方なので、原文でどう書いているかを参照したくなる(同じく、122ページにも「意味のある方法で」とあるが、これもニュアンスがクリアに理解できない)。もちろん僕が間違っていて、単に僕の理解力が不足しているから分からないという場合もあるにはあるが、おおよそ9割くらいは翻訳がおかしいせいで奇妙な日本語の表現に感じたという経験の方が勝っている。翻訳とは、母国語をどれほど正しく運用できるかの能力が話の半分を占めるのである。

なお PDF と言えば、本書は「GDP」を「PDF」と誤記している箇所が幾つかある。原著ないしレイナーの原稿データに誤記があったのかどうかは分からない。

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