Scribble at 2024-01-01 10:04:53 Last modified: unmodified
このところ哲学の本というのは書店でも棚に向かうことすらなくなったし、どのみち手に取ったり感心させられるのは翻訳くらいのものだろうから、向かう意欲すらなくなっているのだけれど、もちろん日本の研究者が書くものに興味がないというわけでもないし、業績がないと思っているわけでもなく、それどころか知識というものは社会的な何かであって、その成立(捏造という場合もあるが)や継承や維持や伝達や習得といった数々の過程において分業をとるしかない。原則として他人の成果を軽視したり無視して孤高の天才を気取るような自意識こそ、哲学に携わる者が絶対に避けなくてはならない欺瞞であろう。よって、ここではバカをバカと呼ぶことに躊躇はないけれど、もちろん国内の哲学プロパーの(願わくは)多くはバカでも無能でもないはずだ。そこまで僕はシニカルでもなければ尊大でもない。
原則としては、プロパーには期待しているし、だからこそ彼らには権威や責任があるのだ。きちんとした業績を上げていても、それを公の出版物として発行することが難しいという事情も(短期間だが出版業界にいたこともあるので)理解できるし、その代わりにアメリカの研究者のように大学のウェブサイトで専用のコンテンツを制作するような手間や時間もかけられないという事情も想像がつく。僕らはサラリーマンとして多くの雑務をこなしているので、科研費の申請といった手順ごときで文句を書いているようなお坊ちゃんやお嬢ちゃんたちに何の同情もしないが、しかし無駄な手順や仕組みは無きゃ無いほうがいいに決まっている。フリー・ハンドの研究資金や出版費用の助成が、科学哲学という特殊な分野でも普及することも期待している。もちろんだが、僕に大谷翔平くらいの資産、いやそこまでなくてもいいけど、それなりの財力があれば、「竹尾賞」やら「伊勢田賞」とか、あるいは「森記念奨学金」とかを授与する財団を作ってもいいとは思う。俺の名前? いやだよ。バカバカしい。(なので、名前を使われるかもしれない先生方らも嫌だろうとは思うが。)