Scribble at 2020-12-26 09:23:47 Last modified: unmodified
そうか、もうブログは更新をやめたのか。さきほど「街場」について、例の連中以外に何か書いてる人がいないものかと Bing で探していて見つけた記事だ。こういうのって、特に hatena のブログ記事は「創作」と言われることもあるけれど、仮に「作品」だとしても、なかなか良くできている。そして、なんの関係もない他人にとっては、結局のところ記録でも小説でもどっちでもいいんじゃないかとも思うのだ。こういう〈話〉を読んで何を感じたり考えるかが(しょせんそれぞれの他人にとっては)重要なのであって、ソースが作り話だろうと実話だろうと、そもそもそこで起きていた事を当人であれ誰であれ自分から見てどう理解しているかを書き綴ったものなのだから、いずれにしても事柄の一部だけを伝えているだろうからだ。
もちろん、だからといって「夫」にも一分の理があると加勢するつもりはないし、「どっちもどっち」だと中庸なり超然を気取るつもりもない(非常に多い誤解だが、哲学とはしょせん人間のやっていることなのであり、哲学をやっているからといって何でも抽象化して考えたらいいなどというのは、まさに自意識過剰な子供の発想だ。つまり、自分が「哲人あるいは賢い人だと思われたい」というだけで哲学書を読んだり哲学を学んでいるような、真の意味での俗物に典型的な発想なのである。その対象がヒトという生き物の存在するかどうかに依存しない形而上的なことであろうと、それをやっているのがヒトでしかありえないという自覚なしに理想的な「現象学的還元」を為しうるわけではない。こんなことは哲学でもなければ是非の問題でもなく、ただの生物的な事実であろう)。