Scribble at 2024-01-23 18:24:16 Last modified: 2024-01-23 21:10:07

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水野さんが河内平野が見渡せる土地に居を求めたのはこういう悠久の歴史に思いを馳せられるからでは・・・と思えてきます。

生駒の山から西方みれば・・・

水野正好氏の講演会について紹介しているページだ。古墳時代や大阪の古代史を専門に研究していて水野氏の業績に触れたことがないという人はいないと思うし、それ以外でも有名だった考古学者のひとりでもあるから、水野氏についてご存知の方は多いと思う。僕も山畑古墳群の資料を集めるに際して、幾つかの文献で群集墳の研究に大きく寄与した人物として紹介されているのを知っているが、どちらかと言えば「河内政権論」の論者として見かける方が多かった。

長らく奈良大学で教鞭をとり、もちろん奈良大学の学長だったことも知られている。そして、考古学の調査と研究では、主に滋賀県の古墳を調査したことで知られているのだが、このページで書かれているように山畑古墳群(特に、33号墳、35号墳)の調査に参加されていた。そういうこともあってか、なんと石切に住んでいたらしい。僕も、大阪府内で好きなところに家をもらえるなら、いまのところは生駒山西麓に愛着があるので、枚岡とか上四条町とかがいいなとは思う。生駒山の逆側にあたる生駒市の軽井沢(奈良に「軽井沢」という地名があるのだ)なども歩いてみて良いところだとは思ったが、大阪側よりも更に坂が急で車なしでは生活できないと思う。

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