Scribble at 2023-04-02 11:20:06 Last modified: 2023-04-02 11:23:10

ニューズ番組を観ていても、このところ「エイプリル・フール」に関連した話題が殆ど報道されなくなったのは、良いことだと思う。これは、エイプリル・フールのパフォーマンスとフェイクの区別をどうつけるのかという課題が解決されていなければ、うかつに紹介すると後で非難される恐れがあるからかもしれない。

もちろん、エイプリル・フールに乗じて、パブリシティ狙いのフェイクを使ってパフォーマンスを展開する連中がいるのは確かだ。観ている相手がネタだと言って即座に信じなくても、一つのロジックとして記憶のどこかにパターンや印象を流し込むだけでも効果があるからである。こんなことは、いちいちサブリミナルとか言わなくても広告業界では古典的な印象操作の手法として使われてきた大衆操作である。ただし、これの欠点は政治活動や販売展開として成果を上げられるほどの影響力が発揮できるまでに時間がかかることだ。したがって、効果を発揮できるまでにかかる時間を短縮するために、予算規模が大きいクライアントでは、複数のメディアに展開する複合的な手法を複雑に組み合わせた「ブロックバスター」という方法を使う。広告として色々なメディアに展開するだけではなく(ブロックバスターの「表の定義」は、バスや列車で広告を掲載できる場所を全て買い取って自社の広告で埋め尽くしてしまうことだ)、小説家やライターに、商品とは殆ど関係がない作品や記事の中で登場人物に自社商品を使わせたり何かの事例として言及させたりするとか、それから正式なスポンサーとは別にテレビ番組の小物として自社の商品を採用させるとか、あるいは自社商品のアクセント・カラーを使ったペンを販売してもらったり、有名人のプロフィールに「ラッキー・カラー」として挙げてもらうなんてことまでやる。

そういうこととは別に、正直なところエイプリル・フールの話題作りとして多くの会社がやっていることは、奇抜さばかりを追求した下品な娯楽になりつつあったし、ネタであることが分かりにくい悪質なものも増えてきていた。そもそも、起源も何のためにやってるのかも不明な風習を、人付き合いでのちょっとした冗談という限度を超えてメディアで報道したり公表するというのは、僕には理解しかねる。しばしば「冗談くらい言える社会でないといけない」といった、分かった風なセリフを聞くこともあるが、それは個人として知人との会話で続けたらいいのである。なにも公の報道機関や企業の広報としてやる必要はあるまい。

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