Scribble at 2024-05-30 15:09:24 Last modified: 2024-05-30 15:24:13

さきほどは PHILSCI.INFO に挑発的なことを書いたわけだが、簡単に言うと、指数と対数に概念というよりも computation 実務と言うべき観点で分かりやすさに違いがあると思う(そして、対数の方が圧倒的に分かりにくい)一つの理由は、左辺を計算するだけで右辺を導けるかどうかという点にあると思うんだよね。

みなさんもそうだろうと思うけれど、^^2^{3}^^ と問われたら、それは2の3乗、つまり2を3回だけ掛け合わせたらよいわけなので、^^2 \times 2 \times 2 = 8^^ と答えが出せる。そして、このときの等号は左辺と右辺との同値性を言っているだけではなく、左辺を「計算した結果」が右辺であることも言っている。

これに比べて、^^log_2 8^^ と問われたら、どう「計算する」だろうか。当たり前だが、これは四則演算では答えが出ない。「2の何乗が8なのか」という考え方でも、あるいは「8の何乗根が2であるか」という考え方でも、左辺だけでは計算できないからだ。しかし、数学的には ^^log_2 8^^ という表現は3という数(かず)を表しているのだから、数学的な対象としての性質をもっていて、それを有効に使えたら便利であることは分かっている。現に、大学以降の数学の本には対数がいくらでも出てくる。しかし、「対数を扱う」と言っても、それは四則演算のように左辺から直感的に右辺を導けるような思考がありうるのかどうかは、高校までの授業や参考書を読んでも、ぜんぜん分からない。なのに、数学ができる人々は「1+1」はと言われて計算するかのごとく、つまりは左辺から四則演算だけで右辺が出てくるかのごとく、イージーに対数を扱っている。このギャップを埋めない限り、対数を(そして結局は指数も)多くの人々の思考に根付かせることはできないと思う。

それから次に、概念として対数を納得できるためには、数を「掛け合わせる回数」というものが数学的な対象になりうることを説得できなくてはいけない。数を掛ける回数なんていう、人がいてこそ成立するような、まるで小役人のような操作が数学的に真面目な対象であると言えるためには、やはり何らかの教育的な発想の工夫が必要であり、僕が思うには数学教師も数学プロパーも、この手の工夫を全くしてこなかったか成功していないと思う。そして、なんだかんだ言っても「数学的センス」といったブゥードゥー教に頼ってしまい、できるやつにしかできないという杜撰な理解で終わらせてしまう。分からない側も、納得するための分かりやすいロジックが必要なので、すぐに「理系」だ「文系」だという偏見に逃げてしまう。こんな知性では、教える方も学ぶ方も、そのうち本当にコンピュータのプログラムに知識の考案や発見において凌駕されてしまうだろう。

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