Scribble at 2022-03-08 09:34:02 Last modified: 2022-03-10 20:30:37

Hacker News で SPA (single page application) はクズだという話が出ているのだけれど、そもそもビジュアル・デザインやウェブ・ページの機能性や UX まで含めた「デザイン」において、トレンドとかスタイルとは何を意味しているのだろうか。かつて、弊社に所属していたデザイナーは、既に10年ほど前の時点ですら「もうウェブ・デザインのパターンというのは出尽くしたと言ってもいい」と発言していたのを覚えているが、僕も同感だ。そして、実際にウェブ・デザインのショウケース・サイト(CSSMania とか、あの手のカタログみたいなサイト)が新しく登場してはすぐに消えてゆくという悲惨な状況が続き、いまでは数えるほどしかまともなサイトがなくなり、たくさん残っているクズみたいなショウケース・サイトというのは、実質的に WordPress のテンプレートを宣伝する広告媒体になっている。もう、まともなレベルのデザイナーは Webby Award のサイトなんて10年くらいは見てないだろう。

10年前に(まともなレベルのデザイナーがやっと気づいて)起きた大きな転換点は、いわゆる「Web 2.0」とか「Web 標準」とか「マッシュ・アップ」などという御託そのものではなく、それらを口走っているだけでは全く儲からないし、クライアントやエンド・ユーザにとっての利益にもなっていないという事実が短期間ではっきりしたからである。2007年あたりから O'Reilly Media を中心に叫ばれてきたフレーズは、しょせんそれに関連する書籍やセミナーや必要なアプリケーションやプラットフォーム・サービスで儲けるためのでっち上げにすぎず、そしてそれ自体が現在では O'Reilly Media の書籍出版という事業にとっては自殺行為になってしまった感がある。つまり、誰も本なんて読まなくなったのだ。React を学びたいなら YouTube で動画を観ればいいし、チュートリアルのページもオンラインにたくさんある(海賊版の PDF を読むのすらウザいというわけだ)。すると、新しく業界に入ってくる人々が体系的な知識としてまとめた書籍を使って勉強する機会を失うのは自然なことであり、何も専門学校を出た若者が本質的に小手先コーダや Photoshop のオペレータにしかなれないというわけではなく、彼らは長いあいだを通して有効であり続ける基礎や原理よりも、「顧客のため」と称して場当たり的に使えるだけにすぎない機能や操作を覚える他になかったという状況に置かれた、或る種の被害者だとも言いうる。

そういう人々の制作するウェブ・ページが、どれほど大きくてインパクトのある写真を使っていようと、8 MB の BMP 画像をウェブページに掲載していたオヤジ・サラリーマンと同じレベルのことをやっていたのだと彼ら自身が気づくのに、10年という歳月は長すぎた。SPA などと言っても、しょせんは情報商材詐欺で荒稼ぎするヤクザの下部組織や独立のチンピラ小僧がやってることと大同小異であるという事実に気づくのにも、彼らは黙々と仕事に埋没しすぎて時間を使いすぎたわけである。実際、たいていの SPA は UX というまじめな観点から言っても、情報商材詐欺のページと比べて全くのクズとしか言いようがないデザインであり、見た目は派手で美しくても収益には何の貢献もしない。そういうページがキャンペーンなどで使われても、しょせん多くのユーザがやってくるのはリスティングに何百万を投資したかとか、もともと巨大企業としての知名度が高いとか、結局のところデザインとは関係のない原因であることが大半だ。それはそうだろう。なぜなら、ウェブ・ページのビジターは、そもそも〈ページのデザインを眺めてからアクセスするわけではないからだ〉。として、やってきたビジターにはやってくるだけの理由や動機があるのだから、誰がデザインしても一定の滞留率は確保できるわけである。しかし、更に滞留率を上げたり直帰率を下げようと思えば、学ぶべきは佐藤可士和や福井信蔵ちゃんの空論ではない。これも10年以上前に、弊社に所属していた情報アーキテクトと一緒に言っていたことだが、電通や博報堂の案件を何年やっていようと、ウェブのデザイナーは情報商材の詐欺師やアダルト・サイトのデザイナーに、もっと学ぶべき点がたくさんある。

そして、そこを超えていかなければ、ウェブ・ページやウェブサイトの構築・制作という業務に将来はないだろう。なぜなら、そこまでならウェブサイトやウェブ・ページを「広告媒体」としてしか捉えていないからである。しかし、これも20年前ですら一部で言われていたように、客が自ら未知の企業やブランドや商品を検索したり探してブラウザでわざわざ閲覧しに行かなければいけない広告なんてありえないわけである。或る(検索する必要もないほど狭くて導線が限られた)ネットワークを仮定すれば、ウェブ・ページは広告になりうる。しかし何かの販売が目的であるなら、インターネットにおいてウェブ・ページはあくまでも〈広告に依存する店頭あるいは商品パッケージ〉なのである。あるいは、僕がかつて公開していた〈例のページ〉でも書いたように、大半の企業にとってウェブサイトは「事業所」あるいは「支店」に匹敵するものだ。これをただの比喩だとか大袈裟な冗談だという感覚が抜けないのであれば、もうそういう人々は DX とかメタバースなどという概念に適応する能力や感受性が欠落していると言わざるをえない。

もちろん、僕も単に50代のジジイというだけではなく、そもそもの感性や関連する分野の知識を得たり情報をアップデートしていかなければ、それこそ巨大なブーメランを後頭部から食らうことになるだろう。

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