Scribble at 2022-01-30 20:05:00 Last modified: 2022-01-31 10:29:04

消費者のニーズを丁寧に捉えて、さまざまな試行錯誤や進化をしているベーカリーは、すぐに閉店に追い込まれてしまうことはないはずです。

“高級食パン専門店“がじわじわ閉店…。失敗する3つの理由と、愛されるパンの条件

著者は栄養学の勉強くらいは東大でやったようだが、「失敗する理由」として色々と語られている議論を読むと、事業運営の経験も会社経営の経験もない素人の勝手な想像にすぎないと思う。

第一に「毎日食べ続けられない」などと言うが、小売店の「リピーター」というものは、毎日のように買いに来て食べるという頻度で設定されているわけではない。いくらリピーターでも実験室でマスターベーションしてる猿ではないのだ。商品を気に入った客がパンの賞味期限が切れるまでに再び買いに来るなどという都合のいい想定で事業を計画するなら、そのような経営者は確実にド素人だ。その時点で、どれほど「うまいパン」を作れる職人だろうと経営破綻という未来しかない。また、一人が食べられる量は1枚か2枚などと当たり前のことを書いているが、6枚切りの食パンを1斤(正確には340グラム以下の重さを「1斤」とは言わないようだが)だけ買って1人が2枚だけ食べるとしても、3人家族なら1食で食べきるわけだから、翌日も買いに来ておかしい筈がない。なんで、一人暮らしの人間が何日もかけて食べきれないなどと言わんばかりの、まるで食パンの消費者が例外なく一人住まいであるかのような意味の分からない前提で議論しているのだろう。ともかく、仮に顧客が毎日買える状況でも、毎日のように買いに来て毎日パンを食べるなんて期待して経営してはいけないのだ。よって、賞味期限どうのこうのなんて些末な話を書いても関係がない。

第二に、「コンビニやスーパーの食パンが、ちゃんとおいしい」などと身も蓋もないことを書いているが、仮にそうならどうしてそもそも高級食パン店の出店ブームなど起きたのか。これでは、出店ブームは起きていたかもしれないが、高級食パンを〈食べる〉ブームなんて実は起きていなかったのではないかという、そもそも論になってしまう。それまで高級な食パンを食べていなかった人たちは、コンビニやスーパーの食パンを全く食べていなかったのか。そんなことはあるまい。既に食べていたコンビニやスーパーの食パンと比較して高級店の食パンがおいしいと期待したか評判を聞いたか誰かにもらって食べてみたからこそ、高額でも買ったのではないか。別にスーパーやコンビニの食パンは高級店が増えたからといって、急に食パンの品質を変えてはいない筈である。ということは、もしブームが起きた時点でスーパーのパンも同じ程度においしい品質で販売されていたのだとすれば、もともとの味が高級店とさほど変わらないということでもあるから、つまるところ高級店は〈値段が高級なだけ〉のこけおどしだったということではないのか。僕自身が大阪空港(阪急蛍池)の近くにある第一屋製パンの工場で食パンを包装したり仕分け発送する「包装課」にアルバイトとして勤めていたことがあるので実際に経験していることだが、どれほど安い商品でも窯から出てきたばかりの食パンは美味いものである。よって、あちらこちらにある手作りの食パン屋のパンが美味いと言っている人たちの多くは、要するに作ったばかりのパン(たいていは安物でも美味い)を冷えたスーパーの食パンなどと比較しているだけのことなのだ。もしこれがブームの実態であるなら、虚像を議論していることになるので、〈自称高級店〉が閉店に追い込まれるのは当然のことである。

そして三つ目に「贈り物やビジネス用途で選ばれにくい」などと書かれているが、どうして食パンを贈答品やビジネスでの手土産などとして売れると考える経営者がいると想像するのかが、どうもよくわからない。たとえば、僕ら大阪の堂島近辺で働いているサラリーマンだと、手土産としてモンシェールという店の「堂島ロール」を持参することはある。しかし、その代わりに食パンを会社にもっていくなどと想像する人がいるとは思えない。あるいは商店街での付き合いや零細企業での土産といった、もう少し土俗的なシーンを想像しても、そこに高級食パンがアイテムとして収まるとは思えない(そういうレベルの付き合いで、そもそも高級品を買って持参するだろうか。金物屋や鉄工所のオヤジが? 馬鹿にしているわけではないが、ありえないだろう)。

こんなことは、常識的な事業計画として考え直せば、あるていど予想はつく。そもそもニーズが大してないところへ出店ブームがあいついで、簡単に飽和してしまっただけだ。高級食パンを買って暇つぶしに食べる購買層なんて、日本中でも大都市の高級住宅街か、やせ我慢が大好きなクリエイターや専門職の小汚い事務所が固まっている、大阪なら天満とか堀江とかに限られる。1km 四方の範囲にせいぜい3店舗もできたら十分だろう。それを、誰が煽っているのかは知らないが、たぶん同じ範囲に5店も8店もできたら潰し合いになるし、更には飽和したせいで色々と試し尽くして飽きる人も出てくるだろう。

それから、この手のパン屋の奇抜なネーミングについて言及されているが、パンについては色々と経験があって興味がないわけでもない僕ですら、店の名前なんてどうでもいい。大阪市内でカレー屋めぐりをしていた頃と同じく、また食べたいと思える店であれば、店頭に置いてある名刺をもらったりして名前を知ったり覚えようとするが、入って食べてみて大して印象の残らない店の名前なんて覚える必要はない。まずは、売ってる商品が美味そうかどうか、そして実際に美味いかどうかだ。店主がどこで修業したの、なんとか賞を最年少で獲得したの、そんなことはどうでもいいのだ。成果としての商品だけが真実である。よって、風変わりなネーミングにブランドとしての価値がないなどと言われたところで、広告系のデザインを受託している会社の人間としては、そんな理屈は50年前のマーケティングやブランディングや広告の常識であるとしか言いようがない。たとえば、アメリカの IT ベンチャーに多い、奇怪な間違いスペルのドメインでサービスを展開する事例を考えても分かる話だ。どれほど奇妙な英語風のドメインを使っていようと、その会社が成長したり上場するかどうかとは、何の関係もない。

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