Scribble at 2024-09-02 16:19:31 Last modified: 2024-09-04 11:08:16
ぶっちゃけで言うけど、たとえばプラグラミング言語の FORTH の本なんて、新刊書だろうと売れ残りの在庫だろうと、殆ど地球上に存在しないわけだよ。せいぜい古本が辛うじてアメリカのどこかにあるってくらいで、自宅に持ってる人なんてアメリカでも州ごとに何人いるのかってくらいだと思うんだよね。
つまり、こういう殆ど流通していなくて、正当な販路を維持することが著作権者の生活のためになるとかどうとか言ってる連中の理屈なんてナンセンスだとしか思えないような現状の場合、オンラインで見つかる PDF を拾って読んだとしても、もう誰の権利を侵害するとかいう話じゃないと思うわけだよ。ウェブには FORTH の古いテキストの PDF が山程あるし、インターネット・アーカイブにも FORTH Dimensions っていうニューズ・レターのような冊子体の発行物が PDF で保管されている。これらを僕らが読んで、FORTH を学ぶことに何の問題があるというのだろう。これらに手を付けなければ、実質的に FORTH を学ぶ方法なんて gforth の man ページか、あるいは FORTH 社が公開してる何冊かの冊子を読む程度しかなくなる。つまり実質的に英語圏の人間しか FORTH を気軽に学べないということになる。
そして、事実として FORTH が日本で殆ど普及していない一つの原因は、やはり翻訳書が出ていないことにもあるだろう。かろうじて80年代に数冊ほど出たようだが、いまの Haskell よりもマイナーな扱いしかされていないわけで、これでは英語で読める人だとしても日本の書店で接する機会がないのだから、Wikipedia のプログラミング言語一覧みたいなリソースが存在しなかった前世紀、つまり FORTH が普及する(恐らく最後の)チャンスだった時期にリソースが不足していたのは致命的だと思う。同じく D 言語や Erlang が普及していない理由も似たようなところにあるのだろうし、逆に有名な実装例があまり知られていないわりに、書店では数多くの教科書が並んでいるおかげで、Stack Overflow などが主催しているプログラミング言語についての統計では、どういうわけか C# に興味があるという人は多い。
流通していないか絶版の書籍は、もう著作権がないものとして扱うべきだと思う。絶版なのは出版業界の事情であって、本の内容にオリジナリティがあるかどうかとは関係ないから保護するべきだと言われても、もしそんな業界全体として尊ぶべき価値があるなら別の出版社が引き取って再刊してもいいわけだ。古典的な著作物を別の出版社が権利を購入して、文庫本などで再刊するというのはよくある。たかが高校の参考書ていどですら、そんな扱いを受けたりするのだから、開発業界の古典と言うべき本が再刊されずに絶版のままなんてことはないであろう。よって、絶版のままということは価値がないと見做されているのに等しく、著作権を失効させるかフェア・ユースとして PDF が勝手に流通してもよいと見做してもらいたいものだ。そしてさらに、僕らのような人間がたまたまいて、そうしたマイナーなプログラミング言語の著作物を(偉そうで申し訳ないが)わざわざ翻訳してやってもいいというのだから、いまさら著作権がどうとか言われたくないという気がする。
でもまぁ、翻訳はしないけどね。「道草」のような、クルーグマンの違法翻訳をやってるテロリスト翻訳家どもをさんざん非難しておいて、自分はやっていいなんていう理屈は通用しないからだ。ということで、たとえば FORTH の解説なんかを公開したいという意欲はあるけれど、翻訳はできないので、おそらくは僕自身が FORTH の解説ページを書くことになる。それはつまり、プログラミング言語の教科書を単独で(しかも無償奉仕で)書くということなので、もちろんそれをやるかどうか、やるとしてもどれくらい時間をかけるかは、僕が勝手に決めることだ。もちろん、いま予定している科学哲学の(まともな)教科書を書く方が優先するから、まぁやるとしても5年後くらいだと思うね。それまでに gforth くらいは残ると思うけど、ビジネス・ユースの実装例なんて一つも増えないだろう。