Scribble at 2024-08-07 12:21:23 Last modified: 2024-08-26 14:53:34

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『デジタルマーケティングの定石 - なぜマーケターは「成果の出ない施策」を繰り返すのか』(垣内勇威、日本実業出版社、2020)

「マーケティング」についても、当サイトでは幾つか書いてきている。中でも、日本では「マーケティング」という概念が意図的に矮小化されており、本来は企画から在庫管理や商品の終了というライフ・サイクル全体を統括するプロダクト・マネージャの仕事であるはずが、日本では殆ど市場調査や販促の意味に使われており、酷い場合は営業をマーケティングと呼ぶ人すらいる。つまり、日本では起業家精神が育たない事情の一つとしても考えられるが、とにかく会社の「仕事」と称されている業務を出来合いの商品のセールスだと錯覚している人が非常に多く、つまりは何かを「売り歩く人」がビジネスマンだかビジネスパースンだか、その手の職能の典型だと見做されている。よって、日本では「営業 vs. 営業以外」という対立で仕事を捉える人がたくさんいて、それはつまりマネジメントや経営や管理というのは、そういう人たちにしてみれば「仕事」ではないわけだ。よく、「管理職になると最前線から遠ざかるのでやる気がなくなる」といった、あいかわらず人殺しもできない軟弱野郎の気軽な軍事用語で語られる事例が示しているように、こういうことを言う人は、ディレクターであろうと営業であろうと、とにかく商品やサービスを客に提供することが「仕事」であるという妄想に取りつかれている。

したがって、たとえばコトラーの1万円近い大著を読む人は営業やマーケティングに殆どいないわけだが、そういうものを図書館で借りてでも読んでいる僕らから見れば、「マーケティング」を語るなら素養として原理原則を述べた古典的な本を一冊くらいは読むべきだと言いたい。そういうものを読まないと、結局は自分自身の考えや発想が視野狭窄に陥るだけなのだ。簡単に言えば、損なのである。そして、損でもいいから愚直に自分の信ずることをやるのが「仕事」であり「誠実さ」であるなどという、イカサマ武士道精神みたいなものを口にする連中こそ、会社を内部から腐らせる元凶であり、会社の生産性に対する下方圧力であり、要するに同僚の足を引っ張るお荷物なのだ。そういうのが営業やマーケティングの部署にいて、一定の売上を出すとしても、それはそういう連中がやった結果でしかなく、たいていのもっとまともな人材はもっと良い成果を出すのである。社内では、そいつらの成果しかデータがないせいで、もっと売れる筈だという期待の根拠を備えられない。すると、たとえばジャック・ウェルチのように根拠があろうとなかろうと営業成績を常に伸ばすよう単純に要求するようなマネジメントになってしまう。

それから、上で紹介している本のような販促(もちろん、本書はマーケティングの一部しか扱っていない。本当に「デジタル・マーケティング」を名乗るのであれば、商品やサービスや事業にかんするライフ・サイクル全体での DX なり業務を語るべきだ)の議論も、おうおうにして専門家を気取っている営業やマーケティング担当者が知らない、考えたこともない、教わろうともしない知恵や経験や教訓であり、口先だけで商品を売りさばくような属人的なことをやり続けているだけの「ラッキーマン」のような営業部長こそ、こういう本を読んで、そして四の五の言わずにそのまま実行するべきではないかと思う。

これまでに幾つかの会社で経営会議や役員会議に参加させてもらってきた経験で言うが、本当に同じことを繰り返して「発案」したり「反省」しているんだよ。営業って。ニワトリかと思うほど、過去に失敗したことを「状況が変わった」などと言って繰り返そうとする。そして、失敗し続ける。ふつうの会社なら資金が枯れて倒産するところを、どういうわけか毎年のように銀行から運転資金を借りてくれるような CFO がいるような会社だと、何回でもチャレンジできるとか、安易な理由で失敗しても構わないという甘えが社員や部門長に生じる。もちろん、失敗が許されないなどというのは、いまどきただのパワハラであろう。しかし、安易で愚かな理由による失敗は、絶対に繰り返してはいけないし、その理由や原因は徹底して突き止められ改められなくてはいけない。それをやったうえだからこそ、次の「新たな」失敗だって許容されるのだ。同じ失敗を何度も繰り返すだけでなく、それを反省しようとしないのは、障害のあるなしにかかわらず、会社にいては困る人材である。

[追記:2024-08-26] 本書について丁寧な論説を書こうと思っているのだが、もちろん内容について何から何まで支持できるわけではない。おおよそ、半分ていどがまともで、あとはガラクタみたいな議論だと思う。致命的なのは、この人は前半で「車輪の再発明」というフレーズを振り回して議論しているのだが、その意味を誤解してるんだよね。愚策を何度も繰り返して実行してしまうことを「車輪の再発明」と言ってて、これが間違いであることは義務教育レベルの国語を学んだ子供でも知ってると思うのだよ。他人に向かって書籍を販売しようなんて人が、こういう初歩的な日本語の意味も理解していないなんていうのは、ちょっと上場企業の役員としては恥ずかしいことだと思うよ。

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