Scribble at 2018-02-28 15:24:18 Last modified: 2022-09-24 18:31:44
「天丼専門店で、天丼しかないお店」ということだけれど、はてそうだったのか。僕が20歳の頃に神保町で働いていたときの記憶だと、天ぷら定食もあったと思うのだが。いずれにしても、食事を残すと店主に酷く叱られる店として、神保町で仕事していたときに編集者のあいだでは有名だった店だ。
当時、僕は『月刊CDay』という CD カタログ雑誌を発行していた神保町の出版社でクラシック音楽を担当していて、指揮者になりたての飯森範親さんへインタビューしに、葉山までカメラマンの木之下晃さんと行ったのを覚えている。その帰りに、同行していた副編集長(確か30代前半の女性で、大学ではフランス文学を専攻したとか言ってた)と新橋で寿司屋に入り、海老とマグロを二巻ずつくらいしか食べてないのに3万とかボラれたのも、下らないがこれからも忘れない記憶なのだろう。
いもやさんも、そういう些細な記憶の一つではあるが、天ぷらの美味さの基準になったのは事実だし、それはそれで良かったと思う。ただ、僕は実際には神保町で働いていた2年くらいのあいだに、いもやさんへは3回くらいしか足を運んでいない筈だ。なぜなら、簡単なことだが、僕は混んでいる店が嫌いだからだ。