Scribble at 2022-12-08 09:50:40 Last modified: 2022-12-08 12:37:41

哲学の学術研究者として SNS だけの有名人というのも困ったものである。もちろん、書店の店頭で自著をうずたかく積み上げてるだけの、小平の英雄とか、竜谷大のブ男とか、早稲田の「有力教授」とか、あるいは軽井沢に数百万冊の巨大な書庫がある別荘を建てたらしい元SEだか元ゲーム作家だかの通俗物書きとか、そういう連中が思想や哲学という口先だけではないジャンルなりスケールで歴史に残るインパクトを与えた事実など、古今東西ない。

少なくとも SNS だけの有名人というのでは、どうしようもないという気がする。現に、僕の知る限りでも同期の茶谷君は SNS でのプレゼンスなんてないけれど、既に神戸大の教授として教えている。これに比べて、SNS ではそれなりに名が知られている後輩の(敢えて伏せておこう)N 君なんかは、アクティブ・ラーニングとかリスクの本とかは書いたようだけど、僕が Twitter で国内の哲学プロパーを無視するようになったら、学者としての業績なんて何も分からなくなった。『科学哲学』にも論文が載ってるわけじゃないし(俺も正会員なのにそうなんだけどさ)、かといって Philosophy of ScienceThe British Journal for the Philosophy of Science に論文が掲載されてるわけでもないし、学術書の棚でも成果を見かけない。もちろん、哲学というものは最後の最後は自分自身にとっての価値でしか語れないことなので、その範囲で本人が納得しており、Twitter やら他の通俗的なパフォーマンスなんて、どのみち本人もどうだっていいと思ってるなら、それはそれで(通俗本の著者がそもそもそういう連中なのだ)一つの見識というものだ。でも、僕のような人物に(敢えて「本物の哲学者に」と書かないでおこう)こうして嘲笑されるという立場に甘んじなくてはならない。

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