Scribble at 2022-12-08 10:27:11 Last modified: 2022-12-08 12:55:55

茶谷君の名前を出して思い出したのだが、神戸大大学院の博士課程に在籍していた頃、院生の研究室という共同で利用する大部屋があって、いまでもあるのかどうか知らないが、僕も席を割り当ててもらっていた。院生の組織みたいなものがあって、僕らのようなドクターの学生ですら実態がよく分からなかったのだが、座席の割り当てを決めたりもしていたらしい。そこに、在籍していたあいだは資料とか読書カードとか、あるいはアメリカで科学哲学を学んだ後に検事をやっているという人物から譲り受けた(本当は借りたのだが)本などを置いていた。で、3年で中退したときに段ボール二つぶんくらいの荷物を置いたままにしてきたため、もう廃棄しているとは思うが何年かごとに思い出しては中身のことを気にしたりしている。まぁ遠い場所でもないし、足を運んで回収してきても良かったのだが、どうにも足を運ぶ気にならない。もう、知ってる人も、同期の茶谷君くらいしかいない。教えてもらった先生方は全て退官されている。そういや、その荷物の中にハイエノールトが編集した From Frege to Gödel とかがあったんじゃなかったろうか。当時としては格安の4,000円くらいで京都の至成堂で手に入れた本なのだが、いまとなっては収められている大半の論文がオンラインで読めるわけで、そういう意味では隔世の感とまではいかなくても、学問に取り組むための情報というコストは格段に下がったと思う。

もちろん、哲学のような学問は(夥しい物量の本を買ったり論文を読んでいることは分かる、哲学プロパーらの業績の無さを見れば分かるように)情報量や記憶力など必要条件かどうかも自明ではない。だが、情報へ低コストでアクセスできるという状況を維持しているという国や地域や国際関係の情勢こそ、多くの人にとって哲学に関わるチャンスを増やしてくれるともいえる。僕は PHILSCI.INFO で、戦場だろうと肥溜めの中であろうと必要なら哲学できなくてはならぬとか精神論みたいなことを言っているけれど、とどのつまりプライベートな営為でしかないと思っているので、シビアな状況でやる哲学こそが本物だといった、イカ臭いヘタレ議論はしたくない。もちろん、だからといって、日本の若手哲学プロパーが続々と本を書いたりイベントを立ち上げているように、ガンダムとウィトゲンシュタインだの、デリヘル嬢の現象学だの、吉野家の脱構築だのといった、僕に言わせれば自滅的としか言いようがない、それこそ「分析哲学」ならぬ「自己破壊的哲学」としか言いようがないパフォーマンスなんてクソの役にも立たんと思うがね。

それはそうと、院生研究室と言えば、いったい何年越しの OD なんだと思うような人々が、部屋の奥に本棚を構えていた光景が思い起こされる。昔は PD 制度もなかったので、満足のゆく博士論文を書き上げて学位を受けるまで授業料を払い続けて5年くらい留年して在籍してるドクターがいたんだよね。何年もそこで日中の大半を過ごすと分かっている仕事部屋なら分からなくもない。僕も、いまの会社では移動式のラックを2つもらって本や書類を置いている。でも、院生の研究室は利用できる時間が決まっているし、学生だからといってずっと入り浸っているわけにもいくまいとは思うのだけれど、歯ブラシだのコーヒー・セットだのが置いてあって、もう殆ど住んでるんじゃないかと思うような一画があった。

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