Scribble at 2020-10-07 21:25:43 Last modified: 2020-10-08 08:19:06

もうじき大阪市の住民投票があるので、改めて述べておこう。

まず、大阪市は280万人を抱える自治体として、大阪府の財政を基にしたサービスと合わせて、やっと現状の行政サービスを提供できている。これが大阪府の特別区として財源が一元化されると、「二重行政」と言われて切り捨てられた行政サービスが量も質も低下するのは自明である。現に、大阪維新の会を立ち上げて府知事をやっていた人物ですら、医療機関の多くを「無駄」と言って切り捨てたことは失敗だったと認めている。つまり、維新の会が言っている「二重行政」というのは、二重の財政で支えて《やっとまともなレベルの行政サービスになっている》のだと言った方がいい。府と市で病院や学校があることを贅沢や無駄だと思っている人は、それらの数が今の半分になったらどうなるかを想像してみてはどうだろうか。

そして、そもそも「大阪都」などと称しているが、維新の会ができるのはせいぜい大阪市を大阪府の特別区に組み替えることだけである。別に住民投票の結果が賛成になろうと、それだけで自動的に大阪府が「大阪都」になったりはしないのである。維新の会では「政府、国会の支援を得て、法律改正等により、府から都への名称変更の手続きが予定されています」などと言っているが、弱小政党の立てた法案が成立する保証など何もない。よって、大学生、あるいは東京に何らかのコンプレックスを抱いていて、やみくもに名前が変わるかのように賛成しようと思っているなら、それは止めたほうがいい。

最後に、これまでの経緯に不満を持っていて何かを根本的に変えてしまえば良くなると思う人がいるのは分かるが、明治維新のような大変革であってもしょせんは下級武士と地方大名のクーデターに過ぎなかったわけで、大多数の国民生活には劇的な改善などなかったわけである(変化はしたかもしれないが)。また、アメリカに叩きのめされて憲法も変わったところで、日本人の精神性なんてほとんど変わっていないという理解は社会科学の常識であろう。戦争に負けて国民がファシストや専制君主主義者からプラグマティストや民主主義者に変わったなんて、そんなファンタジーを信じている社会科学の研究者なんていない。しかし、少なくともあちらこちらで飢えて集落が滅ぶなんてことはなくなったし、娘や息子を丁稚なり風俗嬢として売り渡すような親も殆ど(まだ実態としてはあると言われているが)いなくなったのも事実であって、少しずつ改善したり向上しているとは言える。その中で、既存の政党なり政治家がロクでもないことを続けてきた結果として色々な無駄があったり癒着が起きているのは、個別にただすほかはなかろう。それは、現大阪市長もペンキ屋だか電飾屋に利益を誘導しているのと同じであって、大阪都になろうとクズはクズの仕事をし続けるのである。

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