Scribble at 2023-02-24 10:10:58 Last modified: 2023-02-24 10:15:29

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The Shoestring approach is designed for any small-to-medium company that wants to start taking advantage of digitalisation, but doesn’t know where to start, and possibly isn’t ready to allocate much digital budget.

The Shoestring process

製造業者にデジタル・デバイスを使った素養を身に着けてもらい、製造工程で生じている更に微細な構造への理解を進めて、商品開発とか改良に役立てようというプロジェクトだ。そして、似たようなアイデアを僕も何度か当サイトで提案している。つまり、ウェブ・アプリケーションのプログラマにも通信工学やテスト設計といった、更に精密な工程だとか基礎的なプロセスへの正確な知識が必要だという話である。実は、これは「もっと勉強しないといけない」という話をしているわけではない。敢えて言わせてもらえば、日本でシステム開発やコンピュータ・サイエンスの学位を得て IT 企業やネット・ベンチャーに就職したり起業する人々は、欧米の大学生に比べて最初からこの手の素養が足りないのだ。アメリカやヨーロッパで CS の学位を得ている学生は、昔から言われているように血を吐くような読書と試験勉強をびっしり4年間だけ続けて卒業する。それは、単に自分の専門とする分野の勉強をするだけではなく、それに関連して求められる分野の勉強も含まれるわけで、日本の大学生は教員から求められる素養とか関連分野の知識が少なすぎるのである。実際にアメリカの州立大学レベルにでも留学すれば、そこで学ぶ内容が物量だけでも圧倒的に日本の大学とは違っていることに衝撃を受けると思う。要するに日本の偏差値70以下の大学でやってることは、アメリカでは「大卒」と見做されていないコミュニティー・カレッジみたいなレベルの分量の勉強なのだ。

あまり当サイトでは書かない話だが、僕が学部時代に法学部の学生として自主的に資料を集めて勉強していた分量は、それこそ18世紀以降にヒュームの哲学を論評した有名な哲学者から無名のアマチュアに至るまで、書籍や論文のコピーだけで段ボール5個ぶんくらいにはなった。また、京都の至成堂という洋書店でも10冊ていどの現代の研究書を手に入れて目を通していた。そういう準備のもとに書いた、僕の卒論に準じる文章(僕が卒業した法学部には卒論という制度がなかったため、自主的に書いたのである。PHILSCI.INFO で公開している「ヒュームの関係概念」という論説だ)は、現在の日本の大学生が書く卒業論文のレベルとしては段違いだという自負があった。でも同時に、僕がやっていることはアメリカの Ivy League の学生なら誰でもやるようなレベルの勉強なり卒業論文の作業でしかなく、これは世界規模の基準で言えば「平均」でしかないという自覚もあった。

自慢でも何でもなく事実として、僕には国公立大学の博士課程に進学しただけの一定の素養や学識はあるし、それを(或る程度は)認められたから神戸大学のドクターになれたのだと言っているが、もっと広い規模での基準を使えば、僕の素養とか学識なんて実際には大学院を出ている人間の平均あるいはもっと低いレベルでしかない。そういう者に、「君らは勉強が足りない」と言われているレベルとは何なのか。少しは自分で日本の自称「高等教育」なるものが、どれほどバカげた思い上がりでしかないかを、実際に丁寧に調べて知るべきだと思う。こんなことは僕があれこれ檄を飛ばす(もちろん日本のエンジニアは駄目だと貶したいわけではないからだ。やればできる子、はいると思う)よりも、Google Translate だろうと ChatGPT に聞くのでもいいが、実際に自分で調べれば分かることである。

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