Scribble at 2022-02-20 09:32:32 Last modified: 2022-02-20 09:47:14

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いま、こうして文章をフォームにタイプしている Microsoft Edge は、だいたいこのサイズで開いている。以前に書いたような、ウィンドウを開くたびに画面の下へ位置がズレていく現象もなくなったらしい。常に自分で決めた環境が維持されると、不安がなくていいものだ。

それにしても、28インチ近い大きさのモニターを使うようになったため、現状ではウィンドウの幅が広すぎる気もする。実際、いくらレスポンシヴと言われながらも、多くのウェブページでは1行分の桁数が多すぎて文章が読み辛くなったり、あるいは桁数なり文章を流し込むボックス要素の幅に限度が設定されているのか、左右の余白が空きすぎて無駄を覚える事例もあり、なかなか調整は難しいようである。

しかし、そういう調整などいくら考えたり実装してみても、テクノロジーに依存する理屈をもとにしている以上、それは刹那的と言ってもいい小手先の猿知恵で終わる可能性は高いと思う。今後、僕らの使うインターフェイス・デバイスとしてサイズが固定された「モニター」という概念が成立しなくなる可能性があるからだ。

つまり、VR なり AR に映し出される全体がインターフェイスなのであるから、それこそ画面のサイズではなく、僕ら自身の眼がもつ視野角がインターフェイスを決める限界となる筈だ。更には、HCI という概念そのものが視神経や脳の神経系へのダイレクトな接続まで現実にカバーするようになるなら、視野角という生理的な制約すら無効となる。つまるところ、そういうところまでくると画面やモニターのサイズとか解像度という尺度に意味がなくなって、僕ら自身の脳の限界が単純に物事を処理する限界となるのだ。

そういう段階になると、おそらくウィンドウとかアイコンというビジュアルで伝達するしかなかった(しかし、その必然性はなかった)情報は更に効率よく伝達されるようになる。或る計算結果を、現在のコンピュータでは「9,508,734」と表示したり、「きゅうひゃくごじゅうまんはっせんななひゃくさんじゅうよん」と発音するしかなかったが、本来は〈こういう数〉という脳神経に与える電気的な反応さえ伝わればいいのだから、これを HCI でコンピュータから直に刺激として伝えられたらアラビア数字で表記する必要はなくなるし発音する必要もなくなる。或る意味では、そうやって伝達できるようになると、視覚障碍者や聴覚障碍者にも全く同じ信号で〈こういう数〉を伝えられるのだから、「究極の」か「理想の」か「最善の」かは分からないにしても、先進的なアクセシビリティと言えるのは確かだろう。

この手のテクノロジーなり SF の話を展開すると、もう反射的に「無機質」だとか殺伐としたイメージで受け止める人がいたりするのだけれど、寧ろ形式や内容だけを重視して外形的な要素とか感覚を捨てた方が、或る意味では「優しい」ことを実現できる可能性もある。ビジュアル・デザインの工夫をあれこれと制約されたところで考えることも必要だが、そこで完結した話だけで済むというのは、自分が〈見える人〉であるという単純な事実や前提を不問にしているだけだと自覚するのがプロダクト・デザイナーの見識というものであろう。制約された条件で仕事をしている自覚があるというのは、制約されている事実の中でしか仕事ができないという、豚小屋の豚として生きることと同じではないのだ(もちろん、この比喩は無頓着に使っていいわけではない。そのような豚小屋に豚を押し込めていることが、宗教的な言い方では一つの「悪」かもしれないという自覚も必要だ)。

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