Scribble at 2020-09-19 10:33:44 Last modified: 2020-09-19 10:40:40

昨今はやたらと「コロナ禍」(ころな・か)という言葉が連呼されていて、一時期の「リーマン・ショック」と同じく色々なことについて言い訳や大義名分として使われている。もちろん、その大半は感染症の世界的な流行なり蔓延とは関係がない。飲食チェーンが続々と倒産しているのは、もちろん多くの人たちが外食しなくなっているせいもあるが、そもそも何年も前からブラックだのワンオペだのと言われながらも、人材不足を補う女性や高齢者や外国人の登用が進まないという事情で、ビジネス・モデルが限界だったのだ。仮に感染症が蔓延しなくても、多くの飲食チェーンは遅かれ早かれ行き詰まていたわけである。御社が倒産するのは、新型コロナ・ウイルスのせいではなく、労働力の調達なり価格設定なりも含めて、要は経営能力の欠落が最大の原因だ。他人や自然現象のせいにするな。

とは言え、経営についてだけでなく人としての生活という脈絡でも、今年はネットワークを利用した働き方なり生活の変化が大規模に起きて普及したのは事実なのだから、これをきっかけに幾つかの方針を変えた企業も多いだろう。弊社も、就業規則で週に3日は自宅での作業が可能となったため、すべての社員が自宅で作業できるようにノート・パソコンを貸与したり、モバイル・ルータを配布したりした。そして、全員にスマートフォンも貸与しているため、これにビジネスフォンの機能を連携させるサービスを導入して、自宅でも会社の電話番号にかかってきた電話を受けたり、バーチャルな内線番号を使って他の人へ受電のステータスを引き継げるようにする予定だ。ちなみに、こういうことを「DX」と言っているのは、何も理解していない人間なので、信用してはいけない。オンライン・サービスを使ったり、モバイル機器を使うこと自体は、単なる digitalization にすぎない。DX は本質的には仕事とはどういうものかとか、弊社の事業とは何をすることなのかとか、そして自分たちの生活スタイルとは何かという点での変化を指している。このような事業や生活のスタイルという点でのポリシーなり原則が変わることを DX と言っているのであって、これが変わらない限りは、何をやり始めたり変えようと、単なるネット・サービスのヘビー・ユーザというステータスでの成果を超えるものは引き出せない。

とは言っても、社会学や哲学の教員がバラ撒いているような「コロナ時代のぼくら」といった軟弱小僧のようなフレーズで語られる自意識だけでは、DX として語られるような成果(それが「良いこと」かどうかは何の保証もないわけだが)は引き出せないと思う。そういう物書きどもが語っているような話の大半は、技術の変化に対応できなくて立ちすくむ僕たちって、あるいは対応できてしまっているナウでハイセンスな僕らって、みたいなセカイ系全開のナルシシズムしかないからだ。自分の考え方や生き方としてどうするのが良さそうなのかという、堅実で現実的で正確な思考は、そういう自意識プレイとは無縁である。そういう、SF小説の主人公にでもなったかのような set-up を無暗に持ち込んで、時代といった大局から自分の生活までのあらゆるスケールでものを考えるのは、もうやめたほうがいい。もちろん僕を含めてだが、凡人が何を考えて行動しようと世界の殆どは何も変わらないのだ。でも、その唯一の例外として明らかに変わるのは、自分自身なのである。

というわけで、オンライン・サービスを積極的にか仕方なく使うようになったときだからこそ、従来の利用サービスも含めて棚卸や取捨選択する機会にするべきだろう。たとえば、ひとくちに「メディア」と言って数多くの新聞サイトやニューズ・サイトを眺めていればいいという、何の根拠もない《多様性カルト》や《リソース・バカ》あるいは《ビッグデータおたく》の言うことなど、たいして科学的でもなければ、現実に成果の出ている証拠もない。実際、ビッグデータ解析で患者に最適な抗癌剤を処方するなんて話は、もう5年以上は前から実用化されているが、いまだに大金持ちのセレブが続々と亡くなっている。一説では2035年までに癌は内服薬で治る病気になるなどとホラを吹いている人物の新刊書がジュンク堂でも山のように積み上げられているようだが、説得力のある根拠もなしに、個人的な願望を予測や既定事実であるかのように語るのは、端的に言って嘘というものだ。もちろん現行の技術開発は奨励したり助成し続けて構わないが、すぐにでも成果が上がる(から助成する)という近視眼的な個人投資家や VC のような態度で学術研究や技術開発を評価したりむやみに期待するのは、それこそ非科学的な態度というものである。よって、過剰な期待をすることなく、堅実に自分が適切に処理できる分量のリソースを利用するのが正しい。膨大な数の情報サイトをザッピングしているだけで何事かを分かったかのような気分になるのは、それこそ日刊紙を毎朝の朝食後にすべて眺めるといった暇人を《理想の教養人》のようにあがめてきた無能どもと同じ精神性でしかない。

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