Scribble at 2024-12-19 07:01:44 Last modified: 2024-12-19 07:26:40

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当サイトで公開している「英語の勉強について」という論説でも取り上げている話題だが、和英辞典は不要だという人がいる。その理由は幾つかあるけれど、まず第一に「リアリズム」の理由として、大半の学校では和英辞典を使わないし生徒に使わせないよう指導することすらあるという。しかし、これは和英辞典が不要であると考える教師がやっていることを鵜呑みにしているだけであって、リアリズムというよりも現状の追認でしかない。そもそも現今に限らず大昔から日本の英語教育に問題があるのは多くの人が指摘するところなのに、その元凶と言える全国の(たいていは英検準1級すら取れるかどうか怪しい)英語教師が和英辞典を使わないから不要だというのは、僕には本末転倒にしか思えない。寧ろ、英語教師の真似をして(あるいは彼らの言いなりに)和英辞典を使わないからこそ英語についての興味が伸びない人だっているのではあるまいか。もちろん、和英辞典さえ使えば現今の「日本人は英語ができない」という問題(僕は実は「問題」だとは思っていない)が解決するわけではないだろうが、少なくともその何割かは英語についての関心を高められると思っている。

そして第二の理由が、更にポピュラーな議論として語られることの多い、そもそも「辞書そのものが不要である」という議論である。これは、既に色々な話題に関連して批判しているが、最も盛んに主張されている根拠が、例の「幼児の母国語習得最強説」だ。こういうナンセンスを口にしている人々は、実際には「最強」という言い方で自分を騙している。なぜなら、最強が「最善」であるとは限らないし、またわれわれ成人どころか中学生や高校生にとってすら最善である保証もないからだ。寧ろ文化人類学や発達心理学などの知見を参考にすれば、幼児は彼らがやるようにして母国語を習得せざるをえないわけであって、そもそも幼児からすれば使いたくても辞書など扱えないのである。よって、幼児が辞書を扱えないというだけの事実から、幼児は辞書を「不要」だと見做しているかのようなインチキ心理学を捏造して、「幼児は辞書を『必要としていない』から辞書は不要だ』などと議論している連中は、はっきり言って幼児並の知性だと言わざるをえない。

そして、やや特殊な第三の理由として、"kaizen" というハンドル・ネームのアマゾンでは有名な人物(調べれば現在は株式会社アテックに所属する小川清氏だとすぐに分かるのだが)が展開されている、自分が知っている単語だけで表現するほうがよく、和英辞典で調べた単語を安易に使うべきではないというものがある。これは一理あって、和英辞典だけではコロケーションやニュアンスの適切さが十分に分からないので、不適切な用法となってしまうことはある。しかし、僕はこういう議論にも賛成しかねる。和英辞典で調べた単語を安易に自分の文章で「使う」ことにはリスクがありえるにしても、自分が日本語で表現している単語を(コロケーションや用法の問題はあろうと)英語で何と言うのかという興味に応えてくれる和英辞典は、単純に英語に対する興味を醸成してくれるツールとして有用だと思うからだ。そうして調べた単語が自分自身の使う言葉として的確に使えるようになるかどうかは、そこから先の問題でしかない。(そもそも、小川氏の議論が簡単に無限後退へ陥ることは明らかである。我がものとしていない単語を使うべきでないとすれば、いったい僕らは「どの単語で表現すればいいのか」という問題にならざるをえず、当然だが全ての英単語について十分に使いこなしていない初学者は単語を一つも使えないという矛盾に行き当たるしかないからだ。実際のところ、多くの初学者、いや何年も勉強している人にとってすら、たとえば "a (an)" すら正確に使えない人は多い。)

[追記] 推敲しているときに気づいたのだが、CMS ではフォントを sans-serif にして表示しているので、「第二」が「第ニ」になっていることに気づかなかった。というか、なんでこんな変換ミスをするんだろう。僕は「だい」と「に」を別々に変換した覚えはないので、これは IME が「だいに」を「第ニ」として無条件に変換したとしか思えない。恐るべき無能だな。そして、sans-serif のフォントを使う場合のリスクとして、やはり留意しておかないといけないなと思った・・・ていうか、「いけないなとおもった」も「行けないなと思った」なんて妙な変換してるし(こういう場合に「いかない」を「行かない」と変換するのは不自然だ)。

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