Scribble at 2024-08-02 09:27:46 Last modified: 2024-08-02 09:34:02
百姓には家名は必要ないので、名前で呼んでいた。機能的には個人を同定するには名前があれば十分で、同名でまぎらわしいときは「屋号」で区別した。夫婦同姓が日本の伝統などというのは無知蒙昧な話で、これは明治時代につくられた民法の制度である。
表記の上での姓や家名を同じくするというのは、僕が小学校から中学校にかけて考古学を学んでいた頃に専門にしていた知識から言うと、古代には「ウヂ」という制度があって、これは同族集団を表すのだが、必ずしも「同族」は血縁であることを意味していない。共同体意識によって繋がっていればいいわけで、古代の頃は正確な戸籍の記録や過去帳や家系図なんてないわけで、本当に親戚や血縁関係があるかどうかなんて分からない。また、これと同じ頃に「カバネ」という制度もあって、これは下働きや奴隷なども含めた奉仕活動に当たるよう王権から命じられるとともに与えられた職能や官位の名称であった。物部氏とか蘇我氏といった「ウヂ」に対して、「カバネ」は連とか臣とか造などという。
実際、伝統を語るのであれば、これらの「ウジ」や「カバネ」の方がはるかに長いあいだ運用されてきている。いま使われている「名字」というのは、鎌倉時代あたりから使われるようになったもので、土地の区画を表すための地名みたいなものであった。これを武家が専有して、一般の民からはウジも取り上げてしまい、長らく大多数の平民は自らのウジもない状態が続いたのを、明治時代に再び平民苗字必称義務令という法令で新しく自分で苗字を作って名乗れるようになった。そういう事情があり、それまでに運用されていた名字やウジは男性が使うものであり、女性は名字やウジを使って名乗ったり呼ばれることはなかったわけである。女性が自ら「北条政子」とか「豊臣寧々」とか名乗ったりはできなかった。実例を挙げると、徳川家康の正式な呼び方は「徳川次郎三郎源朝臣家康」であり、この中で「源」が「ウジ」にあたり、「朝臣」が「カバネ」にあたる。
ということなので、封建時代でも明治時代でも「男が偉そうにしていた時代」は、女性の苗字がなかったり、逆に女性の苗字が変えさせられたりしてきたわけである。どっちにしても女性が制度や「伝統」などという(敢えて保守の人間として言うが)クズ理屈に何の正当かつ合理的な根拠もなく翻弄されてきたわけである。敢えて言えば、この国の「伝統」とは、そういう不合理や未熟な権利意識によって維持されてきただけの愚かで拙劣な思考や理解を隠蔽する作り話にすぎないわけであり、まともな保守であれば打ち捨てるなり忌避するべきものである。