Scribble at 2023-11-25 20:47:56 Last modified: unmodified

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Then you got more practice and then you told yourself ‘man, it was so simple all along, I don’t know why I had so much trouble’.

Reality has a surprising amount of detail

これまでに Hacker News で何度も取り上げられたブログ記事らしい。それだけ人を引き付けるメッセージがあるのだろうとは思うが、少しは過去ログを調べろよと思わなくもない。なお、ちょっと長い記事なので Google に翻訳させてみたら、やはり Google Translate は信用に値しないということが分かる。寧ろ、違和感のある翻訳なので、皮肉にも誤訳が分かりやすいと言えるほどだ。上の一文は、Google 翻訳だと「それからさらに練習して、『ああ、最初はとても簡単だったのに、なぜこんなに苦労したのか分からない』と自分に言い聞かせました」となる。これでは、まったく逆の意味、つまり「最初は簡単だったのに難しくなった」と言っているように読めてしまう。でも、これは "all along" を「最初は」などと誤訳したのが原因だ。ここでは、ものごとが最初から(後から見れば)これほど簡単になっていたのに、どうして取り組み始めた頃はあんなに難しく感じたのだろうと言っているのである。

ともあれ、部分や厳密さにこだわることと、全体や単純さにこだわることとのあいだに何らかの優劣をつけたがるのは、おおむねアホの特徴だと言って良い。実際には、これは実践と理論の対比とか、現実と理想の対比だとか、あるいは工学と数学の対比、あるいは社会と学問といった、はっきり言って僕らのような哲学者に言わせればデタラメでくだらない対比とともに、人類の多くの文化で共有されてきた、無能にとって都合がいいだけの思考パターンにすぎないのである。実際には、どういう条件で単純化や理想化を優先し、どのような条件なら詳細にこだわったり現実のデータを重視するべきなのかは、一つの話題、一つの学問、あるいは一人の人間が携わる単独の研究プロセスにおいてすら、色々と変わるものである。そして、そういう条件の選び方が正しいとは限らないからこそ、同じテーマや同じ対象についても、色々な人が研究したり追試したり、また本人が後から再び検討しなおしたりするのである。

つまり、僕らが実際に携わっていて、そして堅実かつ妥当な仕方で携わるべきスタンスというものは、物事は複雑でもあり単純でもあるという複雑さを認めるということなのだ。そして、その複雑さの理由の一つが、われわれ自身の能力や知識の有限性なり限界なり無知なのであるという謙虚さが必要である。

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